大判例

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静岡地方裁判所 昭和48年(ワ)165号 判決

静岡市小鹿一丁目一番一号 済生会病院南病棟二階

原告 大木捨三

〈ほか七二名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 大蔵敏彦

同 田代博之

同 福長惇

同 豊田誠

同 朝倉正幸

同 市川勝

同 伊藤博史

同 入倉卓志

同 大橋昭夫

同 大森清治

同 小川良昭

同 小川芙美子

同 尾崎俊之

同 小山出来雄

同 管野兼吉

同 管野悦子

同 河西龍太郎

同 倉田雅年

同 小林達美

同 小林亮淳

同 斉藤一好

同 斉藤義雄

同 佐藤久

同 沢口嘉代子

同 清水洋二

同 清水光康

同 白井孝一

同 白川博清

同 城口順二

同 杉本銀蔵

同 鈴木堯博

同 高山幸夫

同 中山貞愛

同 中村雅人

同 名倉実徳

同 新里秀範

同 西山正雄

同 畑山実

同 萩田信太郎

同 藤森克美

同 藤田雅弘

同 福地明人

同 福地絵子

同 松波淳一

同 美里直毅

同 村野守義

同 森下文雄

同 本杉隆利

同 安田寿朗

同 柳沢尚武

同 山下潔

同 渡辺昭

同 渡辺正臣

東京都千代田区霞ヶ関一丁目一番一号

被告 国

右代表者法務大臣 古井喜實

右訴訟代理人弁護士 黒田節哉

同 田之上虎雄

右指定代理人 吉戒修一

〈ほか一五名〉

兵庫県宝塚市美幸町一〇番六六号

被告 日本チバガイギー株式会社

右代表者代表取締役 エッチ・エッチ・クノップ

右訴訟代理人弁護士 赤松悌介

同 笠利進

同 井出正敏

同 井出正光

同 宮武敏夫

同 藤田泰弘

同 広川浩二

同 土屋泰

同(昭和五三年(ワ)第四四一号事件については土屋泰復代理人) 長内健

同(昭和五三年(ワ)第四四一号事件を除く。) 高池勝彦

同 玉利誠一

同 直江孝久

同 渋川孝夫

同 美根晴幸

同 加藤豊三

大阪市東区道修町二丁目二七番地

被告 武田薬品工業株式会社

右代表者代表取締役 小西新兵衛

右訴訟代理人弁護士 日野国雄

同 岡本拓

同 木崎良平

同 川本権祐

同 品川澄雄

同 本間崇

同 早崎卓三

同 中島和雄

同 中筋一朗

同 田浦清

大阪市東区道修町三丁目二一番地

被告 田辺製薬株式会社

右代表者代表取締役 松原一郎

右訴訟代理人弁護士 石川泰三

同 青木康

同 武田隼一

同 丁野清春

同 美作治夫

同 大矢勝美

同 伊東真

同 吉川彰伍

同 榎本昭

同 小松英宣

同 大久保均

同 野村弘

同 羽田野宣彦

同 塩川哲穂

主文

1  別紙「認容金額一覧表」の関係被告欄記載の被告らは、同表の原告名欄記載の各原告に対し、連帯して、同表の慰藉料欄及び弁護士費用欄記載の各金員、並びに同表の慰藉料欄記載の各金員に対する同表の遅延損害金の起算日欄記載の各年月日より各完済まで年五分の割合による金員、及び同表の弁護士費用欄記載の各金員に対する昭和五四年七月二〇日より各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  原告らの被告らに対するその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用中、原告日高和子・同佐塚ひさ・同加藤きみと、被告日本チバガイギー株式会社及び同武田薬品工業株式会社との間に生じた分は、同原告らの負担とし、その余はすべて別紙「認容金額一覧表」の原告名欄記載の各原告に対応する被告らの負担とする。

4  本判決主文1項については、別紙「認容金額一覧表」の原告名欄記載の各原告より同表の関係被告欄記載の被告国を除く被告らに対して(原告加藤きみについては被告国に対して)、同表の仮執行宣言の割合欄記載の各割合の限度で、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  別紙「原告請求金額一覧表」の対応被告欄記載の被告らは、同表の原告欄記載の各原告らに対し、各自、各原告に対応する請求金額欄記載の各金員及びこれらに対する昭和四五年九月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言(被告国、同田辺、同チバ)

第二請求の原因

一  原告らはいずれも医薬品であるキノホルム剤を服用したためスモン(亜急性脊髄視神経症)に罹患した者又はその相続人である。

二  被告日本チバガイギー株式会社(以下「被告チバ」という。)、同武田薬品工業株式会社(以下「被告武田」という。)、同田辺製薬株式会社(以下「被告田辺」という。)は、別紙「キノホルム剤許可等一覧表」記載の各キノホルム剤(以下「本件キノホルム剤」という。)を製造又は輸入(以下両者を含めて「製造等」ということがある。)のうえ販売し、被告国は厚生大臣をして医薬品の製造輸入の許可・承認をなさしめているところ、厚生大臣は、右一覧表のとおり、本件キノホルム剤の製造輸入を許可・承認した。

三  因果関係

キノホルム剤の服用とスモン罹患との間に因果関係が存在することは、次の各事実から明らかである。

1  スモン患者は神経症状発現前にキノホルム剤を服用している。

2  キノホルム剤の生産量、使用量とスモン患者発生数との間に並行関係がみられ、且つキノホルム服用とスモン発症率等との間には、いわゆる「量と反応の関係」(Dose-Response Relationship)が存在する。

3  キノホルムの販売・使用中止の行政措置のとられた昭和四五年九月以降、スモン発症が激減し、終熄した。

4  動物実験によって、ヒトにおけるスモンと同様の病態が再現された。

四  被告会社らの責任

1  無過失責任

(一) 本件スモンにより原告らの蒙った被害は代表的な薬害の一つであり、これは利潤追求を至上目的とした安全性無視の医薬品の大量生産・大量販売に代表される現代資本主義の構造に根ざしたものであって、いわゆる「構造的被害」の諸特徴をもつものであるから、原告らにおいて過失の立証を必要としないという意味での無過失責任の法理が採用されなければならない。

(二) 医薬品の消費者である原告らは、薬害については、常に被害者の立場にあり、しかも内容の高度化した医薬品の安全性を検討すべき専門的な知識・技術を有せず、又何らの正確な情報も与えられずに服用を強制される立場にある。一方、被告らは、医薬品の生産・流通過程を支配し、或いはこれをチェックする立場にあるばかりでなく、安全性に関する知識・情報を独占しているうえ、薬害を防止するだけの十分な資力、組織、能力等を有している。従って、被告らの支配領域内に原因をもつ薬害による被害については、被告らが無過失責任を負うことが公平の原則に適合する。

(三) 医薬品は本質的に危険な物質であり、特に大量生産になじみ未知性の大きい合成化学医薬品は一層危険性が増し、大量生産・大量販売体制の下で、専ら利潤追求の手段として用いられると危険性は飛躍的に増大する。このような危険物質である医薬品を、被告会社らがその支配領域内において流通におき、又被告国が流通におくことを認める以上、流通過程で発生する被害に対して、被告らは無過失責任を負うべきである(危険責任)。

(四) 被告会社らは、本件キノホルム剤を専ら利潤追求の手段として扱い、その過程においてスモン被害を発生させたのであり、又被告国は、右利潤追求行為に加担したものであるから、被告らは無過失責任を負うべきである(報償責任)。

2  過失責任

(一) 医薬品は有用性のみならず有害性をも有し、本来的に危険なものであるが、ことにそれが合成化学物質である場合には、その害作用に未知の部分が多く危険性もより大きい。しかも医薬品の危険性は人の生命健康に直接かかわるものであり、多くの消費者によって使用されることが予定されているが、これらの消費者においてはその安全性を確認する手段がない。従って、医薬品を製造輸入販売する製薬会社は、医薬品の安全性確保のため最高度の注意義務を負うものである。

即ち、被告会社らは、医薬品の製造輸入販売を開始するにあたり、当該医薬品及びその類似化合物について、世界最高の学問水準における文献調査、薬学的・薬理学的研究、急性・慢性毒性に関する動物実験及び人における臨床試験をなし、更に臨床使用の経験のある医薬品については、臨床使用の追跡調査を行う等することによって、当該医薬品の化学的性質、来歴、吸収・分布・代謝・排泄の程度、毒性の内容と程度等を調査・研究し、もってその安全性を確認する義務がある。そして、そのような調査・研究の結果、当該医薬品によって、人体にとって無視しえない危害が生じるおそれが予見される場合には、当該医薬品の製造輸入販売の中止を含む万全の結果回避措置をとらねばならない。しかるに、被告会社らは、本件キノホルム剤の危険性につき後記のとおり予見が可能であったにもかかわらず、右義務を尽すことなく本件キノホルム剤の製造輸入販売を開始した過失がある。

又当該医薬品の製造輸入販売を開始したのちも、右注意義務を尽し、もしその安全性につき疑いを生じた場合には、製造輸入販売を直ちに中止するなど結果の発生を未然に防止すべき義務があったところ、この段階に至っては重要な害作用報告が年毎に多数集積してゆき、キノホルムが人の神経障害を含む重篤な障害を及ぼす危険性が一層現実的、具体的になっていったにもかかわらず、被告会社らは前記義務を怠って、昭和四五年九月八日まで本件キノホルム剤の製造輸入販売を継続した過失がある。

なお、被告武田は、キノホルム剤の製造者ではなく、被告チバが製造又は輸入したキノホルム剤を販売した者であるが、被告チバの本件キノホルム剤を我が国内で一手に販売する総発売元としての地位にあること、自社の社名、ブランドを表示して販売したものであること、かつては自らもキノホルム剤の製造を行なっていたものであり、キノホルム剤についての情報を容易に入手しうる立場にあったこと、更に現在も独自に安全性についての調査・研究を行ない得るだけの人的・物的設備を有していることなどからして、被告武田はその販売にかかるキノホルム剤について前記の注意義務を免れない。

(二) 本件キノホルム剤の危険性については次の事実から予見が可能であった。

(1) キノホルムは、一九世紀末に初めて合成された合成化学物質で人体になじみがなく、これを人体に用いた場合何がおこるかわからない危険性があったし、又当初外用消毒殺菌剤として開発されたものを何らの安全性のチェックなしに内用するに至った経過があって、人体のいかなる部位にいかなる危害を及ぼすかもしれない危険性があった。

(2) 又キノホルムがかなりの範囲で吸収されることが判明し、従って、神経をはじめ体内の各部位に分布し、そこを障害するかもしれない危険性が考えられるようになった。そして、添加剤としてサパミンやC・M・C等を加えることにより、キノホルムの吸収が増大し、毒性発現の危険性が一層大きくなることが予測された。

(3) キノホルムは劇薬性を有し、激しい作用により人体にいかなる重大な害作用を及ぼすかわからない危険性があった。そして、諸外国では劇薬に指定されており、我が国でもかつて劇薬に指定されていたことがあり、それが合理的な理由もなく解除されたという歴史があった。

(4) そのうえ、キノホルム及び類似化合物の神経障害性、胃腸障害性、肝臓・腎臓障害性等に関する多くの情報が存在し、本件キノホルム剤によって、人体に神経障害を含む重篤な害作用を及ぼすかもしれない危険性が疑われた。

五  被告国の責任

1  無過失責任

四の1と同旨。

2  過失責任

被告国は、医薬品のもつ社会的特質、先進諸外国の法制の状況、行政法理論の急速な展開過程、薬事行政の既往の実態、憲法・薬事法に基づき、医薬品の安全性を確保すべき法的義務を負う。

即ち、厚生大臣は、医薬品の薬局方への収載、製造等の許可・承認をなすにあたっては、医薬品若しくは類似医薬品について、世界最高の学問水準における文献調査、薬学的・薬理学的研究、急性・慢性毒性に関する動物実験、人における臨床試験、臨床使用の追跡調査を、申請者たる製薬会社に行わせると共に自らもこれを行い、当該医薬品の化学的性質、来歴、吸収・代謝・分布・排泄の程度、毒性の内容と程度、諸外国における規制の状況などの調査研究を行ったうえ、医薬品の安全性に疑いのある時は局方への収載、製造等の許可・承認をしてはならず、もって、薬害の発生を未然に防止すべき注意義務がある。しかるに、厚生大臣は、前記四の2の(二)記載のように、本件キノホルム剤により神経障害を含む重篤な害作用がひきおこされる危険性が予見可能であったにもかかわらず、右安全確保義務を尽すことなく、右収載、許可・承認をした過失がある。

又厚生大臣は、医薬品を収載、許可・承認し、当該医薬品の製造等が開始された後においても、被告会社らに対し、その安全性について十分な調査研究をさせると共に、自らもその服用の結果について追跡調査を行ない、且つ国内外の文献、各種実験結果等の情報を収集し、又前記各種の試験を継続し、当該医薬品の安全性に関する調査研究を行ない、その安全性につき疑いが生じたときは、直ちに当該医薬品につき局方収載削除、許可取消、販売中止、市場からの回収指示等適切な措置を講じ、もって、人体に対する被害の発生及び拡大を未然に防止すべき注意義務がある。しかるに、厚生大臣は、本件キノホルム剤の製造等の許可・承認をしたのち、前記服用結果の追跡調査その他の調査研究を怠り、何らの措置をとらないまま、昭和四五年九月八日まで被告会社らの製造等を放置した過失がある。

六  原告らの損害

原告らの服用したキノホルム剤、神経症状発生年月日、被害の概要は、別紙「原告らの被害の概要等一覧表」のとおりであり、それぞれスモンの罹患のため、弁護士費用を含み、請求の趣旨記載の請求金額相当以上の財産上、精神上の損害を被ったので、その一部請求として右金員を請求する(死亡原告については、別紙「死亡原告訴訟承継一覧表」のとおり、被相続人の死亡日に相続により各相続分に応じた右損害賠償請求権を各訴訟承継人が承継取得した。)。

よって原告らは、請求の趣旨記載の如く、各対応被告に対し連帯して前記損害金及びこれに対する不法行為後である昭和四五年九月七日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求の原因に対する認否及び被告らの主張

一  請求の原因一は不知、同二は認める。同三につき、被告会社らは否認、被告国は不知、同四ないし六は否認する。

二  被告らの主張

1  因果関係についての被告会社らの主張

以下に述べる諸事実に照らし、スモンとキノホルムとの因果関係は認められない。

(一) スモン患者の中にはキノホルムを服用していない者が相当数含まれている。

(二) キノホルムの販売・使用中止の行政措置後もスモン患者が発生している。

(三) キノホルムは世界中で販売、使用されているのに、外国におけるスモン患者はないに等しく、我が国での販売・使用中止措置後も我が国以外の殆どすべての国々でキノホルム剤の製造、販売、使用が続けられており、しかも、それらの国々では殆どスモンの発生をみていない。

(四) 原告ら主張の動物実験は、その目的、方法に問題があり、又被告会社らの動物実験では、スモン様症状の発現をみていない。

(五) スモンはいわゆる井上ウイルスによって発症し増悪したものである(被告田辺主張)。即ち、

(1) スモンの疫学的特徴は感染症を示唆するものであり、井上ウイルス説によって説明が可能である。

(2) 岡山、大阪、北海道の各地のスモン患者の糞便、脊髄液等を用いてウイルスの分離を試みたところ、細胞変性効果によってウイルスの存在が認められた。

(3) マウスを用いての動物実験によって、井上ウイルスによるスモン様症状の発現及び発症マウスからのウイルス分離に成功した。

(4) 電子顕微鏡写真撮影の成功により、井上ウイルスの生物学的性状も明らかである。

(5) 従って、スモンの病因は井上ウイルスである。

2  責任についての被告らの主張(予見可能性について)

(1) 本件における予見の対象は、スモン或いはスモンに関連する重大な神経障害に限定されるべきである。

(2) 合成医薬品の持つ一般的な副作用の可能性をもって、本件キノホルム剤の神経障害作用の予見可能性ありということはできない。

(3) 当初外用に用いられ、現在では内用に供されている抗菌剤は多数に上るのであり、外用の消毒薬である薬物が消化管から吸収されるからといって、それが人体に有害な作用を及ぼすおそれを有することにはならない。

(4) キノホルムに害作用を呈する程度の吸収が起こるということは、学会の常識として定着していなかった。又吸収されることが直ちに医薬品としての危険性に結びつくものではない。

(5) キノホルムは劇薬ではない。

(6) 化学物質は置換基がわずかに変わるだけで、その生体に及ぼす作用が異なる場合が多く、単に化学構造の基本骨格が類似しているということのみから、その作用までも類推することはできない。キノリン核を有する物質が常に神経毒性を有するということはない。

(7) 動物実験からヒトでの副作用を予測することは困難である。臨床経験の蓄積がある場合には、動物実験のデータより臨床経験の方がはるかに信頼度が高く、重要視されねばならない。

(8) 原告ら指摘の文献は、一定の目的意識をもって調査する場合以外には、読まれることがないとしてもやむを得ないものである。又、右文献は、副作用を報告した文献とは評価できない。

3  責任についての被告国の主張

(一) 薬事法の立法趣旨及び目的は、適正な医薬品の供給を通じて公衆衛生の向上と増進を図ることにあり、同法に基づく規制により特定の個人が副作用のない医薬品の供給を受ける利益を享受するとしても、それは単なる反射的利益に過ぎず、従って、個々の特定人たる原告らは国に対して損害賠償を請求し得べき法的根拠を有しない。

(二) 仮に、原告らが侵害されたとする利益が法的利益に当たるとしても、厚生大臣の行う許可・承認は、いわゆる自由裁量行為であるから、裁量に逸脱又は濫用のないかぎり右許可・承認を違法とはなしえないところ、本件では逸脱、濫用はないから、国家賠償責任を生じない。

4  責任についての被告田辺の主張

キノホルムの如く日本薬局方収載医薬品は、いわば国によってその有効性と安全性が保証されたものといい得るから、製薬会社たる被告田辺は、医薬品の製造販売にあたり安全確認義務を免除されるか、或いは大幅に軽減される。

5  責任についての被告武田の主張

被告武田は、被告チバから預かっている本件キノホルム剤を卸店に配給する中間販売者に過ぎないから、原告らの主張するような医薬品製造者として要求される高度の注意義務を負うものではない。

第四被告チバ、同武田の抗弁

原告らの遅延損害金請求の点につき、仮にこれが認められるとしても、原告らは、当初いずれも各本訴状送達の日の翌日から年五分の割合による遅延損害金を請求していたものを昭和五三年九月二九日に至って、同年七月六日付「訴変更の申立書」により右遅延損害金の起算日を昭和四五年九月七日からに拡張したものであるところ、被告チバを相手方とする原告らはいずれも右拡張の日から三年を遡る昭和五〇年九月二八日までには、被告武田を相手方とする原告ら(但し、原告稲葉勝恵を除く。)は当該訴の提起された時点(昭和四八年(ワ)第一六五号事件訴提起昭和四八年五月七日、同年(ワ)第三〇三号事件訴提起昭和四八年九月四日)までには、それぞれその損害及び加害者を知っていたものとみられるから、各本訴状送達日以前の分は三年の消滅時効により消滅したものというべきであり、被告チバ、同武田はこれを援用する。

第五被告らの主張及び抗弁に対する原告らの答弁

被告らの主張及び抗弁はすべて争う。

第六証拠《省略》

理由

第一章因果関係

第一スモンの概要

一  スモンの沿革と調査研究の概要

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

本症は、昭和三三年に最初の一例(潰瘍性大腸炎の治療中に神経炎症状を併発した症例)が学会に報告されて以来、次第に注目されるようになり、その後山形、三重県下において、下痢、腹痛等の腹部症状の経過中に下肢の知覚障害等の神経症状を呈した症例のあることが学会に報告されたが、昭和三六年以降全国各地から同様の症例の報告が相次ぎ、特に山形・米沢、釧路、大牟田、津、徳島、戸田・蕨、岡谷、室蘭などの地方中小都市で集団発生の報告がなされ、原因不明の奇病とされていた。

これらの症状は、基本的にはほゞ共通しているものの細部では多様であったため、これが異なった原因による症候群であるのか新しい独立疾患であるのかについて争いがあったところ、昭和三九年五月、第六一回日本内科学会総会において「非特異的脳脊髄炎症」と題するシンポジウムで右疾患群が取り上げられ、多数の症例報告をもとに臨床的及び病理学的な検討が加えられた。その結果、右疾患群が臨床所見においても病理所見においても既知の神経疾患とは異なる特徴的な共通点を多く有していることが明らかにされ、新しい独立疾患であるとの意見が大勢を占めるに至った。その際、椿忠雄、豊倉康夫らが、この疾患の臨床的病理的特徴に基づき亜急性脊髄視神経症(Subacute Myelo-Optico Neuropathy)という病名を提唱し、その略称としてスモン(SMON)という名称が生まれ、その後広汎に用いられるようになった。

厚生省は、スモンが全国各地で多発するに及んで、その病因究明のため、昭和三九年九月前川孫二郎を班長とし、楠井賢造、椿忠雄、甲野禮作らを班員とする研究班(いわゆる前川班)を発足させた。前川班は、昭和三九年から昭和四二年にわたり、主としてウイルス学的研究を行なったが、格別の成果が得られないまま解散した。

スモンは、昭和四二年以降岡山県井原・湯原地区で集団的多発をみたのをはじめとして、全国的に蔓延するようになり、昭和四四年には発生がピークに達し、社会不安を醸成するようになった。そのため厚生省は、本格的にスモンの病因及び治療予防法を研究するため、昭和四四年九月スモン調査研究協議会(以下「スモン協」という。)を発足させた。スモン協は甲野禮作を会長とし、疫学班、病原班、病理班、臨床班を置いて、スモンに関しその病因及び治療方法の研究を中心に、多方面にわたる調査研究を進めた。

スモンの診断基準について、従来、高崎浩、椿忠雄、祖父江逸郎がそれぞれ独自の診断基準を設定していたが、その後臨床班の楠井賢造を中心として、スモンの全国的な発生の実態を把握するため、統一的なスモンの臨床診断指針を設定する作業が進められ、各般の意見を集大成したうえ、昭和四五年五月八日左記のとおりの「スモンの臨床診断指針」が設定された。そして以後、この診断指針がスモンの疫学調査などの基礎として広く用いられ、現在でもそのまま維持されている。

「スモンの臨床診断指針」

必発症状

① 腹部症状(腹痛、下痢など)

おおむね神経症状に先立って起こる。

② 神経症状

a 急性又は亜急性に発現する。

b 知覚障害が前景に立つ。両側性で下半身、ことに下肢末端に強く、上界は不鮮明である。特に、異常知覚(ものがついている、しめつけられる、ジンジンする、その他)を伴ない、これをもって初発することが多い。

参考条項(必発症状と併せて、診断上極めて大切である。)

① 下肢の深部知覚障害を呈することが多い。

② 運動障害

a 下肢の筋力低下がよくみられる。

b 錐体路徴候(下肢腱反射の亢進、バビンスキー現象など)を呈することが多い。

③ 上肢に軽度の知覚・運動障害を起こすことがある。

④ 次の諸症状を伴なうことがある。

a 両側性視力障害

b 脳症状、精神症状

c 緑色舌苔、緑便

d 膀胱・直腸障害

⑤ 経過はおおむね遷延し、再燃することがある。

⑥ 血液像、髄液所見に著明な変化がない。

⑦ 小児には稀である。

ところで、スモンの病因研究においては、従来ウイルス感染説、腸内細菌毒素説、脊髄血管障害説、アレルギー説、代謝障害説、ビタミン障害説、農薬・重金属等による中毒説などが考慮の対象になっており、なかでもウイルス感染説は、スモンが各地で集団発生する現象がみられたことから有力に提唱され、多数の学者によってウイルス分離の試みがなされた。そして、昭和四〇年に新宮正久らがスモン患者からエコー二一型ウイルスの分離に成功したと報告したが、昭和四四年末に至り井上幸重が井上ウイルス説を発表し社会の注目を集めた。

昭和四五年八月椿忠雄は、疫学的調査の結果などをもとに、スモンの病因はキノホルムであるとの説(以下「キノホルム説」という。)を発表し、これを重視した厚生省は、中央薬事審議会の答申を得て、同年九月八日各都道府県知事宛に厚生省薬務局長通知「キノホルム及びキノホルムを含有する医薬品の取扱いについて」(同年薬発第七八七号)を発し、キノホルム剤の販売・使用中止の行政措置をとった。

右行政措置の後、スモン協は、スモンの病因研究の重点をキノホルムの検証に置き、スモン患者のキノホルム服用状況調査などの疫学的研究、キノホルムの毒性に関する動物実験など多面的な研究を積み重ねた。

この間スモン協の組織も、昭和四六年からは従来の研究班編成をプロジェクト中心に改変することになり、疫学、保健社会、微生物、治療予後、キノホルム、病理の六部会を編成した。

そして、昭和四七年三月一三日開催のスモン協総会において、会長甲野禮作が各部会ごとの研究成果を踏まえて研究総括を報告し、スモンの病因について、「スモンと診断きれた患者の大多数はキノホルム剤の服用によって神経障害を起こしたと判断される」と総括した。

その後、昭和四七年に厚生省公衆衛生局企画課に特定疾患対策室が設けられたのに伴い、スモン協は厚生省特定疾患スモン調査研究班(以下「スモン班」という。)として再発足し、爾来引続きスモンの調査研究を行なっている。その間、昭和四八年度のスモン班の研究報告においても、「その後の研究によってもスモンの病因がキノホルムであるとの前記スモン協の総括に背馳する事実は認められず、キノホルム原因説は一層強固なものとなった」旨総括され、又キノホルム説は学界で多数の支持を得、ほぼ定説化するに至っている。

二  スモンの病像

1 臨床像

《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

スモンの臨床的な特徴は、スモン協が昭和四五年五月に設定した前掲「スモンの臨床診断指針」に集約されているとおりである。即ち、スモンは、一般に腹痛・下痢等の腹部症状に続いて、下肢末端部に痺れ等の異常知覚が発現し、それが次第に(時には急に)左右対称的(両側性)に上行して躯幹や上肢にも及ぶことがあり、異常知覚(痺れ、痛み、圧迫感、何かの付着感、冷感)等の知覚障害は下肢末端にいく程強く、殆どの場合下肢の筋力低下等により運動障害を伴ない、歩行困難・歩行不能に陥るほか、時には視力障害や尿失禁を伴ない、重篤な場合には失明にまで至ることがある。

2 病理像

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スモンの病理学的研究は、昭和三九年頃から死亡患者の剖検例を検討するなどして進められていたが、スモン協発足後、病理部会(部会長江頭靖之)を中心に、全国的な調査により集められた多数の剖検例について病理学者の共同討議によって検討され、右病理部会は、これを基に左記のとおりの「スモンの病理組織学的診断基準(案)を作成したが、これらによると、スモンはこれを要するに脊髄長索路と脳神経根を含む末梢神経系の系統性(もしくは偽系統性)変性症であるということができる。

「スモンの病理組織学的診断基準(案)」

スモンは、脊髄長索路及び末梢神経の変性疾患である。変性はほぼ対称性で、ニューロンの遠位に強い。

脊髄

① 病変はゴル束にもっとも強い。

② 錐体路もおかされる。

③ 前角細胞のCentral Chromatolysis(中心性ニッスル虎斑溶解)が腰髄そのほかにみられることがある。

末梢神経

① 末梢神経の病変も下肢遠位部に強い。

② 後根神経の病変は前根神経よりも強い。

③ 後根神経節内の神経細胞もおかされることが多い。

④ 自律神経にも変性がみられる。

視神経の変性を伴うことがある。通常は視索と視神経交叉付近がおかされる。

病変の強い例ではナリーブ核等に変化がみられる。

大脳、小脳には上記部位にみられるほどの強い変化を認めないのを常とする。

三  スモンの疫学的特徴

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スモン協は、全国のスモン患者の実態を把握するため、昭和四四年一一月に、第一回全国調査として各都道府県・指定都市の衛生部局に依頼して、昭和四二年一月から昭和四三年一二月までに全国の医療機関で受診したすべてのスモン患者及び同容疑患者(新来・再来・入院を含む。)に関する調査を実施し、更に、第二回調査として、昭和四四年一月以降昭和四五年六月末までの初診患者(容疑例を含む。)を同年九月末現在で調査した。なお、同年七月以降は毎月分の初診患者が都道府県を通じてスモン協に報告された。

右調査の結果によれば、昭和四七年三月末現在で集計(但し各都道府県によって最終報告時期に差がある。)したところ、全国スモン患者数は九二四九名(人口一〇万対九・二)で、うちスモン確実例は五八三九名、同容疑例は三四一〇名であった。又初診年次の明らかなものについて、年次別新患発生数(確実例・容疑例を含む。)をみると、昭和四一年以前一三四九名、昭和四二年一三七四名、昭和四三年一七九四名、昭和四四年二四一八名と漸増し、昭和四五年一六五二名とはじめて減少の傾向をみせ、昭和四六年には九五名と激減した。次に、年次別月別に新患発生数をみると、昭和四二年から昭和四四年までは八月又は九月に発生のピークがあったが、昭和四五年は、五月までの月別発生傾向はほぼ前年と同じであったが、五月以降七月まで頭打ちとなりピークとなるべき八月に下降傾向が現れ、同年九月以降急激に減少した。

その後も同様の調査が続けられ、またキノホルム説が提唱された後、スモン患者のキノホルム剤服用状況調査が行なわれたが、スモン班において中江公裕・山本俊一らを中心にこれらの各種調査を総括的に解析し、次のとおり報告している。

各種調査により把握された全国スモン患者数は一万一〇〇七名で、男女比は一対二で女性が多く、また発症年令の分布は五〇―五九才群にモードを有する一峰性分布であり、一九歳以下の若年発症者は三・一%と極めて少なく、四〇―六九才の中・高令女性群に高率の発病がみられる。神経症状発現年次別には、昭和三六年以前一九八名、昭和三七年一一九名、昭和三八年二〇七名、昭和三九年三三二名、昭和四〇年五八〇名、昭和四一年九二一名、昭和四二年一六〇九名、昭和四三年一九九九名、昭和四四年二七四六名、昭和四五年一五九七名(うち同年九月―一二月八二名)、昭和四六年五四名、昭和四七年一一名、昭和四八年一名、昭和四九年以降零、発病年次不明六三三名となっており、昭和四四年をピークとし、昭和四五年後半以降激減し遂に終熄したとみられる。

第二スモンの病因

原告らは、スモンの病因はキノホルムの服用であるとする、いわゆるキノホルム説が既に確立されており、キノホルム説の正しさは、疫学的調査や動物実験の結果等からして今日では疑う余地はない旨主張する。そこで、まずキノホルム説の沿革とその論拠を概観したうえ、その当否について検討する。

一  キノホルム説の沿革とその論拠

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スモン患者に緑色舌苔や緑色便等がかなり高率にみられることは早くから臨床家によって注目されていたが、田村善蔵らがスモン患者の排泄した緑尿を分析した結果、緑尿に含まれた緑色物質はキノホルムの三価鉄キレート化合物であることが判明し、昭和四五年六月三〇日のスモン協の臨床班会議においてその発表がなされた。右発表後、椿忠雄らは、キノホルムが緑舌緑尿の原因に止まらずスモンの原因そのものである可能性を考え、直ちに新潟県下等でスモン患者についてキノホルム服用状況を中心に疫学調査を行なったところ、スモン患者が神経症状発現前にかなりの高率でキノホルム剤を服用していることが明らかとなった。そこで、益々キノホルムに対する疑いを深め、同年八月スモンの原因はキノホルムであるとの説を発表し、これを重視した厚生省が、同年九月八日キノホルム剤の販売・使用中止の行政措置をとるに至ったことは、前述のとおりである。

そして、その後、スモン協及びスモン班を中心に多数の研究者によって、キノホルム説を検証するため多方面にわたる調査研究が行なわれ、その結果スモン協及びスモン班の研究総括においてキノホルム説が肯定されたのをはじめ、学界でもキノホルム説はほぼ定説化するに至っているが、キノホルム説の説くところによれば、スモン患者は主として一般的な胃腸症状(下痢・腹痛等)の治療のため(場合により予防目的で)、キノホルム剤を服用したところ、キノホルムが体内に吸収され、その害作用によってスモン特有の激しい腹部症状や神経障害が発現するというのであって、結局キノホルム説はスモンを薬物中毒症状の一種であるとみるのである。

ところで、キノホルム説がその論拠とするところは、概ね左の諸点である。

(1) スモン協が二回にわたって実施した全国的なスモン患者のキノホルム剤服用状況調査等によると、スモン患者の大多数はスモンの神経症状発現前にキノホルム剤を服用していること

(2) キノホルム剤の生産量・使用量等とスモン発症状況との間に並行関係があり、しかも、キノホルム服用とスモンとの間にいわゆる「量と反応の関係」が存在すること

(3) キノホルムという因子を消去すること(前記行政措置)により、スモン患者の新発生が激減し、遂に終熄したこと

(4) 動物実験の結果、キノホルムを投与した動物にヒトにおけるスモンと同様な臨床症状や神経病変像を再現させることに成功したこと

そこで、以下に右の諸点につき順次検討することとする。

二  キノホルム剤服用とスモン発症との関係

1 スモン患者の発症前キノホルム剤服用状況等調査とその結果

(一) スモン協による調査

《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 調査の内容と結果

前述のとおり、スモン協が二回にわたり行なった全国スモン患者のキノホルム剤服用状況調査のうち、第一回調査では、昭和四五年九月二〇日から一か月間に、臨床班員一八名の自験例を対象にスモン患者の神経症状発現前六か月内のキノホルム剤服用状況についての調査が実施された。その結果八九〇例の調査症例が集められ、これを集計解析した結果は次のとおり報告されている。総数八九〇例中薬剤使用状況不明な一四八例を除く七四二例のうち、スモンの神経症状発現前六か月内について、キノホルム剤の服用「あり」とされた例が六一〇例(八二・二%)、服用が「確実になし」とされた例が一一〇例(一四・八%)、服用が「ないらしいが不確実」とされた例が二二例(三・〇%)であった。次に、服用状況が不明又は不確実な症例を除いた七二〇例についてスモンの神経症状発現前六か月内のキノホルム剤服用率をみると、七二〇例中キノホルム剤の服用「あり」が六一〇例であるから八四・七%となる。

次に、第二回の調査は昭和四六年七月一五日から全国の医療機関を対象に実施され、総数二四五六例の症例が集められた。これを集計解析した結果は次のとおり報告されている。総数二四五六例中、薬剤使用状況不明の六一七例を除く一八三九例のうち、スモンの神経症状発現前六か月内について、キノホルム剤の服用「あり」とされた例が一三八一例(七五・一%)、服用が「確実になし」とされた例が二六九例(一四・六%)、「ないらしいが不確実」とされた例が一八九例(一〇・三%)であった。次に、「ないらしいが不確実」とされた例をも除いた一六五〇例について、スモンの神経症状発現前六か月内のキノホルム剤服用率をみると、一六五〇例中キノホルム剤服用「あり」一三八一例として八三・七%となる。

(2) 中江らの解析結果

中江公裕らは、右第二回の調査結果を詳細に解析したうえ、第二回調査の症例総数二四五六例のうち、初診の時点が神経症状発現時点より前にあるもの(神経症状発現前から同じ医療機関で受診しているもの)は一〇九二名であるが、右の者については発症前の投薬状況が明確にカルテ上に記載されている関係上、発症前のキノホルム服用の有無に関してはその信頼性が他の場合に比して高いと考えられるところ、右一〇九二名についてキノホルム服用率をみると八六・四%となり、又服用状況が不確実な例をも除いてキノホルム剤服用率を算定すると、九〇・二%になる旨報告している。

(二) スモン協班員らによる個別調査

《証拠省略》によれば、スモン協班員らによる調査報告によって明らかにされた、スモン患者の神経症状発現前におけるキノホルム剤の服用率は、次のとおりであることが認められる。

(1)椿忠雄らの調査

一七一例中一六六例(九七%)(新潟県及び長野県下)

(2)吉武泰男らの調査

三四例全例(東京都下の石山病院)

(3)井上尚英らの調査

二七例中二五例(九二・六%)(福岡市内)

(4)黒岩義五郎らの調査

一七例全例(福岡市内)

(5)野村益世らの調査

三六例中三三例(九一・七%)(関東中央病院)

(6)島田宜浩らの調査

一一五例中七三例(六三・五%)(岡山県下)

(7)杉山尚らの調査

七五例中六七例(八九・三%)(東北地方)

(8)越島新三郎らの調査

五一例全例(国立東京第一病院)

(9)祖父江逸郎らの調査

二八二例中九二%

(10)藤原哲司らの調査

三三例中三〇例(九一%)(京都地区)

(11)三好和夫の調査

二四例中二二例(九一・七%)(徳島地区)

(12)大村一郎の調査

一〇七例中八七例(八一%)(国立呉病院)

(13)伊東弓多果らの調査

二二例全例(釧路市立病院)

二五例全例(釧路地区)

(14)高須俊明らの調査

三五例中三四例(九七%)(東京地区)

(三) 特定疾患疫学調査協議会による調査

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

昭和四七年度に厚生省によっていわゆる難病対策の一環としてスモン等八疾患が特別に指定され、原因究明・治療方法解明のための調査研究班が編成されるや、各研究班々長及び疫学担当者は八疾患の疫学調査を能率的に行なう目的で、重松逸造らを世話人とする特定疾患疫学調査協議会を発足させ、全国の病院に対して第一次調査・第二次調査からなる疫学調査を実施した。第二次調査で得られたスモン患者一八八八名につき、神経症状発現前六か月以内のキノホルム剤服用状況調査結果をみると、服用あり六一%・なし六%・不明三三%であり、不明を除いたものを一〇〇%とすれば、服用ありは九二%であった。

(四) 小括

以上の諸調査の結果をみるに、まずスモン協が実施した二回の調査におけるスモン患者のキノホルム服用率は、第一回の調査では八四・七%、第二回の調査では八三・七%であって、両者の数値は極めて近似しており、このことは、右各調査結果に対する信頼性を裏書するものということができる。のみならず、右の各数値は、《証拠省略》によって認められる、いわゆるサリドマイド事件におけるアザラシ症患児の母親の妊娠中のサリドマイド服用率に関するレンツの調査成績八〇・四%を上回るものであって、この種の疫学的調査結果としてはかなり高率であるということができ、しかも、この数値そのものも調査探索度を更に密にすることによって更に高めることができるものと考えられる。又スモン協班員らによる個別調査の結果によれば、前記キノホルムの服用率は殆どの調査がスモン協の調査における服用率を上回り、それが一〇〇%に達した調査結果もあることは注目に価するところである。

以上の各調査結果は、まずスモンとキノホルムとの関連性を裏付けているものというべきである。

2 対照群と比較した調査結果について

スモン患者のキノホルム剤服用率に関する調査結果は前述のとおりであるが、これと非スモン患者のキノホルム剤服用率を対比した調査結果等について以下検討する。

《証拠省略》によれば、次の(一)ないし(五)の事実が認められる。

(一) 椿らの調査

椿忠雄らは、新潟県H町立病院内科外来に昭和四四年一月から昭和四五年七月までに受診した全患者の病歴四一五〇枚を調査し、このうち、病歴にキノホルム剤投与の記載があるもの二六三例、キノホルム剤投与の記載はないが、消化器疾患で受診した全症例七〇八例をそれぞれ抽出したうえ、両群についてスモンあるいは類似の神経症状を検討したところ、キノホルム剤非服用消化器疾患七〇八例については病歴に神経症状の記載が全くみられなかったのに対し、キノホルム剤服用者二六三例中、服用後何らかの神経症状が出現して病歴に記載されたものは合計四四例(一六・七%)で、内訳はスモン一八例(六・八%)、スモンの疑い一一例(四・二%)、その他の神経症状が一五例(五・七%)であった。

右によれば、キノホルム剤非服用群からのスモン及びスモンの疑い例の発生は一例もなく、又キノホルム剤服用者はスモン患者(疑いスモンを含む。)二九名を含めて二六三名であり、キノホルム剤非服用消化器疾患患者数は七〇八名であるから、非スモン患者総数九四二名に対する服用者二三四名の割合は二四・八%であることが知られる。

(二) 吉武らの調査

吉武泰男らの前記東京都下石山病院における調査によれば、同病院で腹部手術を受けた患者一五五例中、術後六か月以内にキノホルム剤を服用したのは七八例で、このうちスモン発症は三四例(四三・六%)で、他方キノホルム剤を服用しなかった七七例からは一例の発症もなかった。

(三) 祖父江らの調査

祖父江逸郎らが、名古屋市内のスモン多発地区のA病院の昭和四四年度の外来患者四三一八例についてキノホルム剤の使用状況を調査したところ、四三一八例中キノホルム剤の服用五三二例(一二・三%)、非服用三七八六例(八七・七%)であった。一方、スモン発症はキノホルム剤服用五三二例中一七例(三・二%)、非服用三七八六例中四例(〇・一%)であった。又同市内のB病院の同年度の外来患者一七七五例について調査した結果、キノホルム剤の服用二三一例(一三%)であり、スモン発症はキノホルム剤服用二三一例中二例(〇・八%)であって、非服用者からの発症は認められなかった。

(四) 伊東らの調査

釧路市立病院における昭和三九年から昭和四三年までの内科外来患者総数は四万七八〇名で、そのうちキノホルム剤投与の対象となる胃腸炎患者数は一万一六二〇名(二八・五%)、実際にキノホルム剤の投与を受けた患者数は二五九九名(六・四%)であった(胃腸炎患者数に対するキノホルム剤投与患者数の割合は二二・四%)。そして、キノホルム剤の投与を受けた患者二五九九名のうち二二名(〇・八%)がスモンに罹患し、キノホルム剤の投与を受けない胃腸炎患者九〇二一名からのスモン発症はなかった。

(五) 島田らの調査

島田宜浩らが岡山県下の三病院において、昭和四三、四四、四五年の三か年間におけるI病院内科外来患者全員、P病院及びQ病院の昭和四四年度内科外来患者全員についてキノホルム剤の投与状況を調査したところ、I病院では七一九〇名(スモン患者を除く。)中五九九名(八・三%)、P病院では一万一九五三名中五五一名(四・六%)、Q病院では七二九〇名中二八一名(三・八%)の服用率となっていることが判明した。

(六) 小括

以上の調査結果によれば、(イ)キノホルム剤の投与を受けた患者群とキノホルム剤の投与を受けていない患者群との間では前者が後者より明らかに有意にスモン発症率が高く、(ロ)又一般外来患者を対照群とするとキノホルム剤服用率は多い場合でも一三%であり、又消化器疾患(胃腸疾患)患者を対照群とすると多い場合でも二四・八%であることが知られるから、これを前述のスモン協による調査及びスモン協班員らによる個別調査によって得られたスモン患者のキノホルム剤服用率に関する数値と比較すると、その差は歴然たるものがあり、後者が前者より有意に高く、このことはスモンとキノホルムとの関連を更に強く裏付けるものということができる。

三  キノホルム量とスモン発症との関係

1 キノホルム剤の生産・輸入量ないし

販売量とスモン発症数との並行関係の存在

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

我が国におけるキノホルム剤の生産量・輸入量の推移とスモン患者発生数との相関関係を調査研究した報告として左のものがある。即ち、(1)椿忠雄らが「SMONの原因としてのキノホルムに関する疫学的研究」と題して発表した報告によれば、C社(被告チバ)の年度別キノホルム剤生産量とスモン患者の発生数(楠井の調査、前川らの調査による。)とを調査した結果、昭和三〇年代に入ってキノホルム剤の生産量が急激に増加したのと並行してスモン発生数も増加していることが判明したというのであり、(2)甲野禮作の執筆にかかる「スモン(SMON)成果をあげた病因研究」と題する論稿においては、キノホルム剤は、我が国において民需用として製造が再開された昭和二一年当時の生産量は月産三〇kgないし五〇kg程度といわれていたが、昭和二八年にCMC配合キノホルムが製造販売されるようになって生産量は年とともに増大し、昭和三七年にはキノホルム原末生産量が年一万五〇〇〇kgに達したこと、一方輸入は昭和一一年に始まり、戦時中一時中断していたが昭和二八年から再開し、当時の輸入量は年三八・三kgであったが、四年後スモンの最初の報告があったころには一五五八・九kgとなり、これまた年を追って飛躍的に増大していること、そして、このようなキノホルム剤の生産量・輸入量の推移とスモンの年次別発生数の増加とは明瞭な並行関係にあり、キノホルムの消費とスモン患者の発生が偶然に並行的に起ったとは到底考えられないこと等を述べており、(3)右甲野は、「スモンの追跡」と題する論稿において、キノホルムの輸入の開始された直後の昭和一二、一三年に既に大阪M病院でスモン症状を呈した患者が発生した事実に言及しつつ、「今日ではスモンはキノホルム剤の輸入とともにすでに発生し、その生産・輸入量の増大とともに発生も増加したと考えてよいであろう。」と述べている。

更に、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

甲野禮作・中江公裕らは、「SMONの発生状況とキノホルム剤の販売・使用状況との関係」と題する論文において、一九六七年(昭和四二年)から一九七〇年(昭和四五年)までの我が国におけるキノホルム剤の販売・使用量とスモン患者の発生数とを三か月単位の年次推移で比較検討したところ、両者の間に極めて高い相関関係があり、又一九六九年(昭和四四年)七月から一九七〇年一二月までのキノホルム剤の処方状況(但し病床一九床以下の診療所、開業医のキノホルム剤処方状況)と処方月より二か月ずらした時期のスモン発生数を比較した結果、キノホルム剤の販売・使用中止の行政措置前の同年六月頃からスモン発生が横這い又は減少傾向にあったが、このことは右処方状況に符合していることを報告している。

以上の各報告によれば、我が国全体におけるキノホルム剤の生産・輸入量ないし販売量とスモン患者発生数とは、これを巨視的にみた場合、並行関係にあったものということができる。

2 個々の医療機関におけるキノホルム剤の使用量とスモン発症数との相関関係

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

特定の医療機関におけるキノホルム剤の使用量とスモン患者発生数との相関関係について調査研究した報告に左のものがある。即ち、(1)中江公裕らが「スモンとキノホルムに関する疫学的研究(第二報)」として発表した報告によれば、同人らが岡山県下のスモン多発地区のY病院の内科及び小児科において昭和四〇年四月から昭和四六年三月までに受診した全患者(延数二万三七二一名)の診療記録について、そのキノホルム剤使用状況とスモン発症数とを年次月別に調査したところ、同病院におけるキノホルム剤使用総数(但し発症後のスモン患者に投与されたキノホルム剤の量を差し引いたもの)とスモン発症数とは極めて高い相関関係があり(昭和四二年以降の両者の相関係数は当該月間で、〇・七九七、使用月とそれより一か月後の発症数との相関係数は〇・七九一といずれも極めて高い。)、特に同病院における昭和四五年のスモン発症数の激減がキノホルム使用総数の激減と符合しているというのであり、(2)安藤一也らが「SMONの疫学―われわれの経験した院内発生について―」と題して発表した調査結果報告によれば、安藤一也らが都会地のA病院と山間地のK病院(いずれもスモン多発病院)についてキノホルム剤購買量とスモン発生状況とを比較検討したところ、いずれの病院ともキノホルム剤が多量に使用され、且つキノホルム剤の半年毎の推移とスモン発生数とが並行していて、その間に相関関係が認められたというのである。

以上の各報告によれば、医療機関ごとのキノホルム剤使用量とスモン発症との間にも相関関係のあることが認められる。

3 量と反応の関係(Dose Response Relationship―以下「D・R・R」という。)

(一) D・R・Rの概念

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

或る環境因子による生体負荷に対して、生体の示す抵抗力は個体間では差異があるが、これを集団でみると一定の分布をもつことが実験医学で知られているので、これらの知見を基に、環境因子の生体に対する負荷量とそれに対する生体の反応とを量的に対応づけたものが、疫学におけるD・R・Rである。そして、D・R・Rを実験医学(中毒学、薬理学、放射線医学、微生物学等)の知見に従って、横軸に反応を起こすまでの負荷量を、縦軸に当該負荷量ではじめて反応を起こした個体数の割合(反応率)をとると、両者の関係は多くの場合対数正規型(横軸を対数変換すると正規型)分布を示す。又横軸に負荷量(対数変換)を、縦軸に累積反応出現率をとるとシグモイド曲線を示す。

そして、宿主である生体が人間の場合にそれが直ちに図式どおりにあてはまる訳ではないが、多数例について観察すれば同様の関係が成立するとされており、このことから逆にこの関係が成立するときは因果関係が存在する公算が大きいといわれている。

そこで、以下にキノホルム服用とスモンとの間のD・R・Rに関する主要な報告を概観することとする。

(二) スモン協・スモン班における主要な報告

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1) スモン協における調査・研究の結果報告をみると、初期の段階では明確にD・R・Rが認められるとしたものはなく、僅かにスモン協の前記第二回全国スモン患者のキノホルム剤服用状況調査成績の報告において、「使用キノホルム量とスモンの各症候(下痢・腹痛・知覚障害・運動障害・視力障害・緑色舌苔)の程度、経過、重症度、再燃の有無等との関係をキノホルム剤使用の有無が明らかな一五二七例について観察した結果、視力障害の程度、緑色舌苔の合併率、重症度及び再燃率について、神経症状発現前のキノホルム使用量との間には相関がみられないにもかかわらず、神経症状発現前後の総量との間には、正の相関が認められた」とされ、又昭和四六年度のスモン協総会における疫学部会報告(要旨)において、「スモンの発症とキノホルム投与量の間にD・R・Rが成立することも全国調査及び各個研究のいくつかで認められており、両者の間の因果関係を示唆しているといってよい」とされていたに過ぎなかった。

(2) しかし、その後の研究の結果、昭和四七年度のスモン班の疫学部会の分担研究結果報告として、山本俊一によって、「前記キノホルム剤服用状況調査で得られた、神経症状発現前六か月間のキノホルム投与量の明らかなスモン患者一〇〇七名について新たに分析した結果、右期間に投与されたキノホルム量(一〇g刻み)別に患者数をみた場合、服用量二一g―三〇gにモードをもち、量が多くなるに従い患者数が減少する分布パターンであり、この分布を正規確率紙上にプロットするとほぼ直線になることから、この分布関係は対数正規分布に近似の分布である。」との報告がなされ、更に、昭和四八年度のスモン班総会における疫学・保健社会学分科会報告として、山本俊一によってスモンとキノホルムとのD・R・Rに関し次のような報告がなされた。

(イ) 投与量と発病率

調査の大半は相関ありとしている。この場合、総投与量として相関ありとするもの、一日投与量として相関ありとするもの、及び投与期間として相関ありとするものがある。一方、相関は女子にはみられたが、男子にはみられなかった、及び相関は流行年にはみられたが、非流行年にはみられなかったという報告がある。

(ロ) 投与量と重症度

相関ありという報告と相関なしという報告があるが、いずれも少数で、「一部あり」とする報告が多数を占める。即ち、先ず、症状として眼症状あるいは視力障害の重症度だけに関して投与量との間に有意の相関がみられたという報告がある。又経過としての悪化率との間の相関もみられ、死亡率(致命率)との間の相関もみられる。一方、発症後の服用量についてのみ重症度(特に視力障害の)との間に相関がみられ、又一日投与量の大量の群についてのみ相関がみられたとの報告もある。

(ハ) 投与量と再燃率

相関が「あり」とするものと、「一部あり」とするものがある。相関が「一部あり」とは、神経症状発現前の服用量と再燃率との間には有意の相関はないが、その前後の全服用量との間には「あり」とするもの、及び神経症状発現後の服用量との間には「あり」とするものである。

(3) 又昭和四八年度のスモン班総会における発症機序分科会報告として、祖父江逸郎によって、キノホルム剤服用とスモン発症の関連性について、「キ剤服用者からのスモン発症例について一日服用量、期間別に分析した成績は種々の機関で行われており、スモン発生率には一日服用量、期間の相関が高いと認められている。これらの成績からスモン発症に対してD・R・Rがあることが知られている」旨の報告がなされた。

(4) 更に、昭和四九年度のスモン班の分担研究報告の一つとして、スモン患者剖検例における脊髄の病理組織学的変化と服用キノホルムとの関係等を調査研究した江頭靖之、甲野禮作によって、「スモンの剖検例のうちキノホルム服用歴が明らかな七一例について、脊髄の組織学的変性の強さとキノホルムに換算した総服用量との関係を図示したところ、総服用量がそれ程多くない例のゴル束と錐体側索路に変性が見られること、ゴル束の変化が錐体側索路よりかなり強いこと、及びこれらが剖検例であるとはいえ総服用量が多いことなどが明らかに読みとれる」旨の報告がなされた。

(5) 以上の各報告を概観すると、スモン協及びスモン班における調査研究の結果、キノホルム服用とスモンとの間のD・R・Rの存在が徐々に明らかにされてきたということができる。

(三) 個々の研究者による調査研究報告

《証拠省略》によれば、キノホルム服用とスモンとの間のD・R・Rに関する個々の研究者による調査研究報告として、次のものがあることが認められる。

(1) 椿らの報告

椿忠雄が新潟県H町立病院内科のキノホルム剤服用者二六三例について病歴調査を行ない、キノホルム剤服用期間とスモン発症数の関係を調べたところ、一三日以下の服用者からは二・六%が神経症状を発現したに過ぎないが、一四日以上の服用者からは三六%が神経症状を呈したことが判明した。このことはキノホルム剤の服用量とスモン発症との間にD・R・Rが成立することを示唆するものということができよう。

(2) 井上らの報告

井上尚英らが福岡市南部の一地区のA病院の疫学調査において、キノホルム投与量を一日量一・二gと〇・九g、投与日数を一三日以下と一四日以上とに分けてスモン発症数を調べたところ、一日一・二gを一四日以上投与した群では一六・八%にスモンが発症したが、一日〇・九g一三日以内の群からはその発症は見られず、キノホルムの投与量が多く投与期間が長ければスモンの発症頻度の増加する傾向にあることが判明した。

(3) 笠井らの報告

笠井美智子らは、スモン患者を多数診療した北海道内三病院で、キノホルム剤の投与を受けたスモン及び非スモン患者合計七四二五名のカルテを用いて、キノホルム剤の種類、一日投与量、投与日数(スモン患者の場合は神経症状発現までの日数)、性、年令の明らかな者を対象に調査を行ない、その結果を次のとおり報告している。

キノホルム剤総投与量の分布は、二〇g以下が大多数を占め、総量の増加と共に対象者が急減し、八〇―一二〇gで最低となる。これに対し、スモンの発生は男性で二一―四〇g、女性で一一―六〇gに最も多く、総量がこれ以上多くなると患者は減少するが、男性では一二一g以上でも患者の発生をみる。六〇歳未満のスモン平均発症率は、男女共総量の増加に伴い緩やかに上昇するが、六〇歳以上になると少い総量からすでに発症率が高く、男性は四〇g、女性は八〇gでピークに達し、以後やや低下する。

(4) 伊東らの報告

伊東弓多果らが釧路市立病院内科外来患者についてキノホルム剤服用状態等を調査したところ、患者一人当りのキノホルム剤総使用量とスモン発症率との間にかなりはっきりした直線的な比例関係が見られた。

(四) 中江公裕らの発症率計算方法の研究

《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

中江公裕は、従来のキノホルム投与量とスモン発症率とのD・R・Rに関する報告によると、その多くが投与量が一定量を越えるとスモン発症率が低下するという現象があったところ、これは従来の発症率の計算方法に誤りがあるためであるとして発症率の計算方法に再検討を加え、その研究結果を次のとおり発表した。

即ち、発症率Piは、或る集団(成員数Ni)の成員個々に総負荷量Xiを与えたとき、その集団からの発症者数がAiであれば、Ai/Niで表わされるが、従来スモン発症とキノホルム量とのD・R・Rについての報告においてその殆どの報告者は、発症率Piをキノホルム量xi-1~xi(例えば一〇g刻みであれば20g~30g)で発症したスモン患者数をni(二〇g以下の量での発症者は含まれないことになる。)とし、同量のキノホルムを投与された非スモン患者数をmiとしてPi=ni/mi+niという式で計算しているが、スモンとキノホルムとのD・R・Rとして検討したいのは、或る集団(負荷量xiの投与集団)の発症率Piがxiの増減に従ってどのように変化するかということであって、この場合xi(例えばキノホルム二〇g)の投与集団とxj(例えばキノホルム三〇g)の投与集団とは少なくともキノホルム感受性に関して同質の集団でなければならないところ、旧来の計算式ではxiの投与集団として或る特定のキノホルム感受性者群(mi+ni)の発症率を考えていることになるし、また投与集団(mi+ni)は投与量xiが大きくなるとその数が少なくなり、発症率Piのバラツキが大きくなるという統計学上の問題もある。このことは旧来の計算式を用いて発症率を計算した報告の殆どが投与量が大きくなると発症率が減少するという連続投与の場合あまり起こり得ない結果を示していることからも肯定できる。そこで、本来実験医学において検討されるD・R・Rを疫学調査資料から再現するための新しい発症率の計算式を考案して、笠井美智子、吉武泰男、中江公裕らの各疫学調査資料を右計算式を用いて解析したところ、いずれもスモン発症とキノホルム投与量との関係がシグモイド曲線類似の曲線関係として示されることが判明するとともに、一日投与量が増すと総投与量が同じでも発症率は高くなることが示唆された。

他方、福富和夫は、スモンの発症率の計算方法に関して、中江とは別個独自に、統計学的立場から新しい計算式を考案したが、両者はアプローチの仕方を全く異にしながら、最終的に帰着した結論(数式)は同一であった。

そして、中江の右研究の成果は我が国学界において高い評価を受けている。

(五) 小括

以上の各調査研究結果によると、キノホルム投与量とスモンの発症および症状の程度等とのD・R・Rにつき、もとよりスモン発症等に及ぼす個体的要因の多様性や疫学的調査資料に依存する困難性等もあり、すべてにつき数量的に明確な形での相関を認め得るというまでには至らないが、キノホルム投与量、特にキノホルムの一日の投与量、発症前後の投与総量につき、スモンの発症、視力障害、重症度と強い相関が、そしてその他の症状の一部や再燃率ともほぼ相関が認められ、更に中江公裕らの考案にかかる発症率についての新しい計算式により従来の疫学調査資料を再検討すると、スモン発症とキノホルム投与量との間にD・R・Rを示すシグモイド曲線類似の曲線関係の見られることが判明したのであるから、これにより両者におけるD・R・Rの成立の可能性は一段と強まったものというべく、結局キノホルム服用とスモンとの間にD・R・Rが成立するものと推認するのが相当である。

四  行政措置後のスモン発生の激減とその終熄

1 スモン発症数の推移

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

スモン協が前記のとおり二回にわたって行なったスモン患者の全国実態調査の結果を集計し、昭和四六年度の疫学部会報告として発表したところによると、スモンの確実例と容疑例をあわせた発症者数の全国計は、昭和三六年以前の総数一五三例、同三七年九八例、同三八年一六六例、同三九年二六〇例、同四〇年四五一例、同四一年七三一例、同四二年一四五二例、同四三年一七七〇例、同四四年二三四〇例であったところ、昭和四五年一月から八月までは月ごとの最高が一七八例、最低が一二六例の間の数字であったものが、同年九月は三七例、一〇月は一六例、一一月は四例、一二月は六例となり、翌四六年には年間を通じ二三例、更に同四七年には零となっており、又スモン確実例のみについての全国計は、昭和三六年以前の総数が九四例、同三七年七五例、同三八年一〇三例、同三九年一六四例、同四〇年二八八例、同四一年四九四例、同四二年九五六例、同四三年一一一九例、同四四年一四八一例であったところ、同四五年一月から八月までは月ごとの最高が一一三例、最低が七九例の間の数字であったものが、同年九月は一六例、一〇月は七例、一一月は三例、一二月は二例となり、翌四六年には年間を通じて一五例になっている。

次に、重松逸造らが昭和四九年三月三一日現在で、昭和四五年九月以後に発症した全国スモン患者の発病年月別の数を調査し、昭和四八年度のスモン班総会に報告したところによると、昭和四五年九月から一二月までの合計は六五例(内容疑例三七例)、昭和四六年三六例(内容疑例一八例)、昭和四七年三例(内容疑例一例)、昭和四八年一例、以上合計一〇五例(内容疑例五六例)であった。

更に、第一章第一の三において認定したとおり、中江公裕・山本俊一らがスモン協・スモン班による各種調査を総括的に解析した結果によると、スモン発生数は昭和三七年以降年を追って増加し、昭和四四年には二七四六例という最大の発生がみられ、昭和四五年においても一月から八月までは一五一五例の発生があったが、九月ないし一二月は八二例と激減し、昭和四六年五四例、昭和四七年一一例、昭和四八年一例、昭和四九年以降零(昭和四五年九月以降の発症数は合計一四八)であった。

以上のいずれの資料によっても、昭和四五年九月にとられたキノホルム剤の販売・使用中止の行政措置後にスモンの発症数が急激に減少し、遂に完全に終熄するに至ったことは、動かし難い事実である。

2 行政措置後のスモン発生について

昭和四五年九月の前記行政措置後スモンの発症数が直ちに零にならず、僅かとはいえ昭和四八年までの約三年間新発症をみていることは、前段認定のとおりであるが、この点については、弁論の全趣旨によれば、キノホルム説を支持する立場から、次のような幾つかの推論のなされていることが認められる。即ち、(イ)行政措置後の新発症者が果して行政措置前にキノホルム剤を全く服用していなかったのかどうか、(ロ)行政措置後直ちに現実にキノホルム剤の服用が完全に中止されるに至ったものかどうか、(ハ)右新発症患者が果して真にスモン患者であるかどうか等である。右の新発症したとされる患者につき、右各推論による疑念を十分解明するに足る証拠はなく、これらの点については今後の調査研究にまたなければならないが、右のような未解明の点が若干あるとしても、前認定の行政措置後のスモンの急激な減少及び遂には完全な終熄という動かし難い事実は、スモンとキノホルム剤との密接な関連性を物語るもので、その意義は極めて大きいといわなければならない。

五  動物実験によるスモンの再現

1 我が国の研究者による主要な動物実験

(一) 実験の内容とその結果

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

我が国における動物に対するキノホルム投与実験は、キノホルム説の提唱以後スモン協・スモン班の会員らを中心とする研究者によって精力的に進められてきたが、そのうちの主要な実験とその結果は次のとおりであって、犬その他の多くの種類の動物においてヒトのスモンに類似した臨床症状及び病理学的変性の発現したことが知られる。

(1) 大月三郎・立石潤らによる実験

雑犬、ビーグル犬、猫、猿に対するキノホルム剤(エマホルムないしエンテロ・ヴィオフォルム)の長期経口投与(その方法、結果等については後記五の1の(二)において述べる。)

(2) 井形昭弘・豊倉康夫による実験

家兎に対するキノホルム剤(エンテロ・ヴィオフォルム)の長期静脈注射を行なったところ、けいれん、下肢麻痺等の臨床症状が認められ、坐骨神経の軸索の高度の腫脹・膨化(多くは変形、断裂、崩壊を示す。)、髄鞘の崩壊、消失及びシュワン細胞の増殖等の所見を得た。

(3) 江頭靖之らによる実験

ウズラに対するキノホルム原末の漸増法による長期経口(胃内注入)投与を行ない、運動能力の鈍麻、歩行・起立困難等の臨床症状と、脊髄の後索知覚路に左右対称性の軸索の変性その他の所見を得、又カニクイ猿、雑犬、幼齢犬に対するキノホルムの漸増法による長期経口投与を行ない、いずれも運動障害の臨床症状と、カニクイ猿、幼齢犬については脊髄のゴル束に左右対称性に軸索の変性、髄鞘の消失、側索錐体路の変性等の、雑犬については脊髄、視神経、網膜等にヒトのスモンと同様の変化等の各所見が得られた。

(4) 椿忠雄らによる実験

ビーグル犬、雑犬に対するキノホルムの漸増法による長期経口投与を行ない、脊髄ゴル束、錐体前索・側索の変性、末梢神経の変性、網膜の神経細胞の脱落、視束等の変性の所見を得、又ラットに対するキノホルムの定量法による長期経口投与を行なって、両後肢麻痺の臨床症状と末梢神経にミエリンの著明な腫脹等の所見を得た。

(5) 高橋理明らによる実験(昭和四六年一月二六日投薬開始分)

カニクイ猿に対するキノホルム剤(主としてエンテロ・ヴィオフォルム)の長期経口投与を行ない、後肢麻痺の臨床症状と脊髄の髄鞘の変性等の所見を得た。

(6) 池田良雄らによる実験

鶏に対するキノホルムの一回投与及び連続投与を行なったところ、歩行障害ないし歩行困難、後趾伸展麻痺、深部知覚異常(亢進)、開口症状等の臨床症状が認められ、脊髄の前索・後索の変性、末梢神経(座骨神経)の軸索変性、髄鞘脱落及び肝の中心性の脂肪変性等の知見を得た。

(7) 黒岩義五郎らによる実験

家兎に対するキノホルムの静脈注射及び漸増法による経口投与並びにカニクイ猿に対する静脈内注射を行なったところ、下痢、便秘等の腹部症状と後肢脱力、脱毛等が認められ、末梢神経の変性(ウォラー変性が主体であり、家兎においては無髄線維やシュワン細胞の変性も認められた。)等の知見を得た。

(8) 金光正次らによる実験

雑犬に対する乳化剤(CMC)配合キノホルムの漸増法による長期経口投与を行なったところ、後肢の脱力、起立不能等の臨床症状が認められ、脊髄の髄鞘の蜂窩性構造、髄鞘と軸索の解離、軸索内小器管の消失と末梢神経(坐骨・経骨神経)の髄鞘の変性・部分的消失等の知見が得られた。

(9) 山田英智らによる実験

家兎に対するキノホルム剤(エンテロ・ヴィオフォルム)の経口投与を行なったところ、腰髄後根神経節の神経細胞のニューロフィラメントの増加等の変性が認められた。

(10) 奥田観士らによる実験

家兎に対するキノホルムの静脈注射及び経口投与を行なったところ、頸髄の髄鞘の膨化と、軸索との間に空隙が多く認められ、又肝・腎細胞の変性等の所見が得られた。

(二) 大月三郎・立石潤らによる実験の成果

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

大月三郎・立石潤らの前記動物実験の結果は、その一部が昭和四六年度のスモン協キノホルム部会の研究報告として発表されたが、それによると、その内容は概略次のとおりであった。即ち、同人らは、キノホルムの神経毒性を調べるため、主としていわゆる漸増法投与(一日投与量を次第に増量する方法)によりキノホルム剤を雑犬二一頭、純系ビーグル犬九頭、猫二七頭、猿一頭に長期経口投与したところ、雑犬一三頭、ビーグル犬八頭、猫六頭にスモン様の臨床症状が見られ、投薬を続けることにより重篤化した。そして、この慢性中毒症状は両下肢の運動麻痺、脱力、筋萎縮、腱反射亢進と痙性、失調性歩行などの神経症状から成り、特に脊髄性失調が中心症状であり、又長期罹患動物では視力障害も見られた。臨床的にスモン様の神経症状の観察された慢性キノホルム中毒の雑犬、ビーグル犬、猫の剖検では、典型的な myelo-opticneuropathyを認めたが、これはヒトのスモンの病変と本質的な差はなかった。更に、臨床発症の有無にかかわらず、慢性キノホルム投与動物の剖検例のすべてに頸髄ゴル束の軸索に始まる変性があり、脊髄後根神経節、末梢神経、視束にも高率の変性が認められ、これらの変化は予想外に早く始まるものと思われ、臨床症状の重篤度、罹病期間、キノホルムの総投与量にほゞ比例して重篤化するというものである。

右報告に対して、スイス、チバ社の行なったキノホルムの投与実験の結果、三〇〇mg/kg/dayのキノホルムをビーグル犬に長期投与しても神経毒性がみられなかったとの反論が報告されたため、大月三郎・立石潤らは、スモン班の要請により、再度ビーグル犬に対するキノホルムの慢性経口投与実験を繰り返し、従来行なっていたのと同じ漸増法投与のほかに、三〇〇mg/kg/dayの固定量投与群を設けて実験を行なったところ、いずれも従来の漸増法投与による結果と同様、臨床的にも病理的にもヒトのスモンに類似する病態を再現することができた。

(三) 大月三郎・立石潤らの病理所見

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

大月三郎・立石潤らは、スモン協の昭和四六年度キノホルム部会研究報告において、その当時までの研究成果を「キノホルムの神経毒性に関する動物実験」と題して詳細に報告しているが、右のうち実験動物の病理所見、特にキノホルム慢性中毒動物とスモンの病理との比較検討をした部分の要旨は概ね左のとおりであった。

キノホルム慢性中毒動物に共通な病理所見は、延髄後索核周辺部から頸髄上部にかけて強い脊髄ゴル束を中心とした左右対称性、連続性の変性で、下部脊髄に移る程、範囲が狭く変化も弱くなり、重症例ではブルダッハ束にも波及するが、その変化は常にゴル束より弱い。この変性はまず軸索に始まり、次いで髄鞘も犯され、発症から三ないし五か月で脂肪顆粒も出現するが、これはヒトのスモンの剖検所見とも一致し、キノホルム中毒動物の基本症状と思われる。又脊髄錐体路の変化は、脊髄後索の変性と同様、その遠位部(下部腰髄)に強い連続性の変性で、主として側索に(一部では前索にも)見られ、この病変の性質も頸髄ゴル束の変性と同一であるが、その程度は常に軽い。ヒトのスモンでも稀に腰髄錐体路の変性の方が頸髄ゴル束の変性より強い例があるが、全体的には後者の病変の方がより重篤で、キノホルム投与動物の病変と矛盾するところはない。

ヒトのスモンに見られる脊髄灰白質特に腰髄前角の神経細胞の種々の程度の変性が、一部の猿その他の動物に認められたが、一部の猿に見られたような神経細胞の脱落にまで至る重篤な変性はヒトのスモンには見られない。

脊髄後根神経節では、ほぼ全例に神経節細胞のクロマトリーゼ、空胞化、核の消失から胞体の崩壊に至る変性が認められ、外套細胞も増加し、基底膜下に侵入し、軸索の肥大、渦巻形成等も見られた。

末梢神経では、ほぼ全例の猿、多数の犬、猫、家兎、鶏と一部のマウスで光顕的変化が認められ、又、犬、家兎等では電顕的変化が認められた。これらの変化は、一般に下肢の大径有髄線維の末端部に強い傾向があるが、犬、猫では上腕神経にも変性が認められた。犬、家兎では有髄線維の髄鞘と軸索、無髄線維、シュワン細胞の種々の異常所見が明らかにされた。

視神経系の変性は犬及び猫において認められた。この変性は、脊髄長索路と同様に視束遠位部に強く、左右対称性、連続性の変化が主体であるが、少数の猫ではむしろ視神経の変性の方が強い例も見られた。病変の性質も脊髄ゴル束のそれとほぼ同一である。

その他の病変としては、スモンにかなり特有といわれるオリーブ核の神経突起の肥大、増生による糸状体形成はキノホルム中毒動物では認められず、又この部位でのグリヤ細胞の増生の程度も弱い。一方、延髄後索核、網様核等の変性は犬、猫ではしばしば認められ、スモンに比し稍強いと思われる。小脳、大脳にはキノホルムに特異的な病変は殆ど認められなかった。

(四) 大月三郎による実験結果の要約

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

大月三郎は、昭和四七年三月開催のスモン協総会において、「動物におけるキノホルム投与実験」と題して、その当時までの内外の研究者による各種動物に対するキノホルムの投与実験結果を整理して発表したが、その要旨は左のとおりであった。

(1) 臨床

キノホルムに中毒した猿、犬、猫、兎、鶏、ウズラにみられた運動麻痺、失調は両側性に出現し、後肢に強いところはヒトのスモンと同一で、犬にみられた後肢の腱反射亢進、尿失禁もスモンに似ている。視力障害は犬、猫で認められたが、スモンで重要な異常感覚、知覚鈍麻等を実験動物で客観的に証明する検査法の確立が望まれる。スモン特有の腹部症状を実験動物で認めることは困難である。

(2) 病理

スモンの病理の特徴である末梢神経、脊髄後根神経節、脊髄長索路の変性は、多くの実験動物において再現され、視束の変化も犬、猫で確認された。その組織像はヒトのスモンと差がみられない。

しかし、スモンでは自律神経系、延髄オリーブ核等の病変が指摘されたが、検索された動物が少ないので、更に検討を要する。

(3) キノホルム中毒動物の神経症状発症時の一日投与量及び総投与量がヒトのスモンのそれに比し多いことは、種族差、基礎疾患の影響も考えられ、更に検討を要する。

2 英国ハンチントン研究所における動物実験

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一) 同研究所独自の実験

同研究所のR・ヘイウッドらは、一九七五年(昭和五〇年)にビーグル犬に対するキノホルムの漸増経口投与実験を行なったが、その結果は左のとおりであった。即ち、純系ビーグル犬二四頭を雄、雌各三頭から成る四群に分け、そのうち三群については二六週間にわたって毎日ゼラチンカプセルに入れたキノホルム粉末を投与し、残りの一群には空のカプセルを投与して対照群とした。投与量は、実験第一週の間はそれぞれ一五〇、一〇〇、五〇mg/kg/dayであったが、第二週以後はそれぞれ四〇〇、二五〇、一〇〇mg/kg/dayに増量した。その結果、四〇〇/mg/kg/day投与犬の六頭中の全例及び二五〇mg/kg/day投与犬の六頭中の四頭に異常な歩行及び異常な反射反応と応答が見られ、症状の最も重い犬では後肢の完全麻痺を示した。組織学的検索の結果では、四〇〇mg/kg/day投与犬のうち投与期間中死亡しなかった四頭すべてに脊髄ゴル束に病理学的変化が見られ、二五〇mg/kg/day投与犬六頭のうち四頭に何らかの病変が見られた。この病変の主たる形態学的特徴は、軸索の変性及び腫脹、ミエリン食細胞を伴ったミエリンの崩壊である。又視神経の変性の見られた犬もあった。

ヘイウッドらは、右実験の結果を記載した「クリオキノールのビーグル犬における経口毒性」と題する報告書において、「本稿記載の臨床症状及び病理像は日本の研究者が報告しているものと相違しない」と述べている。

(二) スイス、チバ社からの委嘱による実験

R・ヘイウッドらは、同年ビーグル犬にキノホルム剤の固定量投与実験を行なったが、その結果は次のとおりであった。即ち、純系ビーグル犬一八頭を雄、雌各三頭から成る三群に分け、そのうち二群については二五週間にわたって毎日ゼラチンカプセルに入れたキノホルム粉末を投与し、残りの一群は対照群とした。投与量は第一群は二五〇mg/kg/day、第二群は四〇〇mg/kg/dayの固定量であったが、両投与群ともに健康状態の喪失等の徴候を示し、投与を受けた犬の全部に歩行異常が見られ、二頭の犬では後肢の麻痺に発展した。検眼鏡検査では、高投与群の一頭に眼の乳頭部の蒼白が認められ、神経学的検査では、高投与群のすべての犬と低投与群の何頭かに定位反応及び姿勢反応の障害が見られ、犬によっては後肢の失調にまで発展した。

神経組織学的には、二五〇mg/kg/day投与犬一頭、四〇〇mg/kg/day投与犬四頭で脊髄後柱の病理的変化が認められた。病変の性質は、ジストロフィー性でその発現は急性であり、形態学的特徴は、前記(一)記載と同様である。又四〇〇mg/kg/day投与犬一頭の視神経には、軸索の腫脹を含んだ同様の変化が見られた。末梢神経又は脊髄交感神経節には有意な病変は認められなかった。

3 動物実験の結果の評価

(一) 実験結果の信頼性

以上認定のとおり、我が国の研究者による各種の動物実験、殊に大月三郎・立石潤らによる前記実験においては、ビーグル犬につき、漸増投与によっても又定量投与によっても、キノホルムによりヒトのスモンに類似する病態を再現し得たというのであり、又著名な英国ハンチントン研究所における再度にわたるビーグル犬への投与実験においても、或いは我が国における実験結果と異ならない臨床症状及び病理像が得られたとされ、或いは一二頭の投与犬のうち五頭の脊髄後柱と一頭の視神経に病変が認められたというのであるから、前記各動物実験の結果は、その信頼性が高く重視すべきものといわなければならない。

(二) 漸増・大量投与法に対する批判の当否

被告会社らは、原告らがスモンを再現し得たと主張する動物実験の殆どは、慢性毒性試験の手法としては不適切な漸増・大量投与の方法を用いたものである旨主張する。

しかしながら、《証拠省略》によれば、慢性毒性動物実験において漸増法投与が採られた理由は、急性中毒死を避けて大量投与の目的を達しようとするにあることが認められ、投与量を漸増すること自体に特殊な効果があるとは考え難いのみならず、漸増法投与が慢性毒性動物実験の手法として極めて特異且つ不適切な手法であるとはいい難い(現に大月三郎・立石潤らの動物実験においては、前認定のとおり、漸増法投与によっても、固定量連続投与によった場合と同様の成績が得られたのであって、少なくとも右実験に関する限り、右投与方法の差はこれを重視する必要はないとみて差し支えないであろう。)。

次に、前記動物実験におけるキノホルムの投与量についてみるに、《証拠省略》によれば、この点に関し、江頭靖之は次のように述べていることが認められる。即ち、江頭らの行なった動物実験におけるキノホルムの一日量についてみると、犬では四〇―六〇mg/kgから始めて段階的に増量して一〇〇―一四〇mg/kgを持続しているうち発病し、猫では一〇〇mg/kgから始めて二〇〇mg/kg或いは時にそれ以上を投与したのち発病した。これに対し、スモン患者についての平均一日キノホルム服用量は一・三七gで、これを体重五〇kgとすると、三〇mg/kg/day前後となる。従って、動物における一日量は、実験開始時でヒトの二ないし三倍、増量後の最高量は七倍程度に達している。神経症状発現までの総投与量について、犬は歩きまわる習性があるから運動障害は比較的観察しやすいので、ひとまずそれを犬の神経症状発現時期とすると、大月らの実験では一三匹の平均が五・三g/kg、同様に猫では一・八g/kgであり、金光らの実験では犬は二・三g/kgであった。これに対し、スモン患者では、運動障害発現までの服用量が全国調査成績にもないので、仮に知覚異常の発現を意味していると解される神経症状発現までの服用量がわかっている三九五〇名のデータからごくおおまかに計算すると総量四五gであり、又第一回全国調査のデータでは五二gである。仮に体重五〇kgとすると約〇・九―一・〇g/kgであり、前記犬の運動障害発現までの投与量五・三gはこれの五ないし六倍、二・三gなら二ないし三倍、猫の一・八gは二倍止まりである。なお、スモン患者の場合、多くは知覚異常が発現してから、運動障害が起こる間もキノホルムの服用を続けている例が多いから、スモン患者の運動障害発現までの服用量をとれば動物実験における投与量との比率は更に小さくなる。

以上によれば、犬、猫等の動物において神経症状発現に要するキノホルム量は、スモン患者におけるそれを大きく上廻るものというべきである。ところで、《証拠省略》によれば、動物実験において、ヒトの常用量を超えた大量投与を行なうのは、まず少数の実験材料(動物)につき副作用の発生頻度を上げて確実に副作用を把握する必要があるためであり、更に同一の作用を得るためには、当該薬剤の血中濃度を同一にする必要があるところ、犬等につきヒトと同一の血中濃度を得るためにはヒトの場合に比しはるかに高い投与量が必要であること、及び大量投与により発現した作用も本質的にはヒトの常用量の投与による作用と変らないことが認められる。

してみれば、動物にキノホルムを大量投与した結果発現した神経症状等の病変がヒトのスモンと同一のものと評価できる以上、それがキノホルムの副作用によるものと理解できるのであって、投与量(発症量)の差は特にこれを重視する必要はないと解されるのである。

従って、被告会社らが提起した動物実験における漸増・大量投与の方法が不適切であるとの批判は、当を得たものとはいい得ない。

(三) 神経毒性非発現事例があるとの批判の当否

被告会社らは、スイス、チバ社及び被告田辺が行なった多くの動物実験においては、実験動物にスモン様の神経毒性の発現は見られなかったから、原告ら主張の動物実験の成果については問題がある旨主張する。

《証拠省略》によれば、スイス、チバ社は、エンテロ・ヴィオフォルムを家兎、鶏、ビーグル犬にいずれも定量法により経口投与し(家兎については静注投与も実施)、又別に二六頭のビーグル犬を用い、最終投与量が五〇〇ないし一〇〇〇mg/kg/day、それに至る漸増期間が一二ないし二六週間に及ぶエンテロ・ヴィオフォルムの漸増法による長期経口投与をする等して実験を行ない、その結果として、定量法による右実験においてはいずれも神経毒性反応は認められず、又漸増法による右実験においても、殆どの実験動物に神経学的障害は発見されず、例外的に異常な姿勢反応及び態度を示した一例、後肢の反射が失なわれた一例があったが、両者とも重篤な全身状態の悪化に引続いてのことであり、神経病理学的検索の結果、二六頭のうち七頭に視神経及び視索に異栄養症(ジストロフィー)型の変性が、そのうちの五頭に脊髄ゴル束に同様の変性が見られたものの、末梢神経、脊髄神経節では病理的変化は見られず、観察された神経病変はキノホルム剤の投与量、投与期間と関連性がないことが示され、生体全体の重篤な障害のため二次的に生じたと考えられ(循環又は栄養障害によると思われる。)、投与された薬剤の直接作用とは考えられなかった旨の報告をしたことが認められ、更に、《証拠省略》によれば、スイス、チバ社と被告田辺とは共同で慢性毒性実験を行ない、カニクイ猿にキノホルムの長期経口投与をし、又被告田辺は別に、キノホルム剤販売停止時における医薬品製造承認基準に準じて各種の動物実験及び基礎試験を行なったが、その結果として、いずれの試験においてもキノホルムに起因すると思われる障害或いはスモン様の神経障害の発現を示唆する所見は認められなかった旨の報告をしたことが認められる。

しかしながら、右の神経毒性非発現事例の報告は、いずれも社内報告であって、公開の場における専門家の十分な批判を経たものではないから、実験の方法やデーターの評価に問題がないわけではない(例えば、スイス、チバ社の行なった前記のビーグル犬に対する定量法による長期経口投与実験については、その投与量が最高の群でも二〇〇mg/kg/dayとかなり低く、又病理組織学的検査についても、病変の初発する後索ゴル束遠位部(頸髄)の軸索損傷の検索等がなされていないとの批判がなされている。)。のみならず、たとえ被告会社らの主張する前記各動物実験においては、何らかの理由により神経毒性の発現を全く見なかったとしても、前認定のとおり、我が国の研究者、殊に大月三郎・立石潤らによる実験及びハンチントン研究所における再度にわたる実験の結果現にスモン様の神経毒性の発現を見たのであるから、非発現事例が存在するからといって右各実験の結果の信頼性がいささかも左右されるものではない。

(四) キノホルム中毒動物に見られる臨床・病理所見とスモンの臨床・病理所見との相関性

我が国の研究者による主要な動物実験及び英国ハンチントン研究所による前記動物実験において、キノホルム中毒動物に見られた臨床症状が、その症状の部位、態様等においてヒトにおけるスモンの臨床像と相当程度の類似性を有することは、前認定の実験動物の各臨床所見とスモン協によって設定された前掲「スモンの臨床診断指針」の示すところとを対比しても明らかである。

次に、右実験動物に見られた病理所見とスモンのそれとの異同についてみるに、スモンの病理学的特徴は概ね前掲「スモンの病理組織学的診断基準(案)」に示されたとおりであるとみられるところ、前認定のとおり、大月三郎・立石潤らのスモン協における前記各報告によれば、キノホルム慢性中毒動物には延髄から頸髄上部にかけて強い脊髄ゴル束を中心とした左右対称性、連続性の変性が見られ、又脊髄錐体路病変が下部腰髄等に見られ、その病変の性質も脊髄ゴル束のそれと同一であるが、その程度は脊髄ゴル束の病変よりも軽いというのであって、以上の点はヒトのスモンの病理とよく一致しており、大月・立石らの前記各報告によって認められるその他の病理所見もスモンの病理像と一致している点が多い。

してみれば、動物実験におけるキノホルム投与動物の臨床・病理所見は、ほゞヒトのスモンを再現したものと認めることができる。

六  キノホルム説に対する主要な疑問点の検討

1 キノホルム剤非服用スモンの問題

前記のとおり、スモン協の二回にわたる全国スモン患者のキノホルム剤服用状況調査では、約一五%のスモン患者についてキノホルム剤の服用「確実になし」とされており、又その他の調査によってもキノホルム剤非服用スモンの存在が窺われるところ、被告会社らは、キノホルム説の立場からは右の点を合理的に説明することはできない旨主張する。

しかしながら、スモン患者のキノホルム剤服用状況調査のようないわゆる疫学調査においては、過去の多数の事例を遡って探求するという事柄の性質上、その全事例を正確に把握することは極めて困難であり、調査結果の数値の正確性には自ら限界があるといわなければならない。

本件の場合、スモン協の前記服用状況調査において、キノホルム剤服用が「確実になし」と報告された症例について、その裏付けの方法をみるに、(イ)「カルテを調べた」若しくは(ロ)「患者に聞いた」又はそれらの両者が主であったところ(右の事実は《証拠省略》により認められる。)、(イ)に関しては、患者はしばしば二人以上の医師に受診しているが、余程よく注意しないとすべての医師についての調査を行ない得ないし、又患者自身が受診した医師を失念していることがあること、病院のカルテは必ずしも一患者一帳となっていないので見落すことがあり、ことにカルテの一部が紛失している場合があること、カルテに投与薬剤の記載が欠落していたり、調査に際し投与薬剤の記載を見落したりすることもあり得ること、(ロ)に関しては、患者が自分で気づかぬうちにキノホルム剤を服用していることがあること等に照らせば、右調査方法には問題があり、「確実になし」との調査の精度は必ずしも高いとはいえず、従って約一五%の「非服用」とされているものも、キノホルムを服用している可能性を否定できないのである(現に、《証拠省略》によれば、田村善蔵らは、「非服用」とされていたスモン患者の血清及び臓器からもキノホルムを検出した事実が認められる。)。

又キノホルム剤非服用スモンとされているものの一部は他疾患の誤診である可能性も否定できず、更に、仮にスモン協の調査における約一五%のキノホルム剤非服用スモンがキノホルム剤以外の他の原因によるスモンであるとするならば、昭和四五年九月にとられたキノホルム剤の販売・使用中止の行政措置後も一五%程度のスモン患者の発生があるべき筈であるのに、実際には前認定のとおり右行政措置後スモンの発症数は激減し遂に終熄したとみられるのであるから、この点からしても、「非服用」とされている約一五%のスモン患者も実際にはキノホルム剤を服用していたと考えることが事理にかなうといえるのである。

従って、一五%程度のキノホルム剤非服用スモンとされている患者が存在するからといって、直ちにキノホルム説を否定する論拠とはなし得ないというべきである。

2 外国におけるスモンの問題

被告会社らは、キノホルム剤は今日まで約七〇年間全世界の人々によって使用されてきたもので、今日でも外国では広くその製造販売使用が続けられているにも拘らず、外国では殆どスモンの発生を見ていないから、キノホルム説はこれを採り得ない旨主張する。

そこで、果して被告会社らの主張するように外国においては殆どスモンの発生が見られないのか否かについて検討するに、《証拠省略》によれば、外国においても次のとおり神経症状を呈するキノホルム中毒症例が相当数存在していることが認められる。即ち、

井形昭弘らが昭和四六年頃ヨーロッパ諸国におけるキノホルム中毒例の存否等を調査したところ、八例のキノホルム中毒症例の情報を得、又オーストラリアにおいても六例のスモン症例が報告されていることが判明した。

次に、片平洌彦・手島隆久らが、キノホルムの副作用症例に関する文献調査を行なった結果、一九七〇年(昭和四五年)から一九七六年(昭和五一年)までの間に、諸外国(オーストラリア等一七か国)においてキノホルム中毒或いはスモン(疑いをも含む。)として四六編、合計八五症例のあることが判明し、右文献により報告された症例の臨床症状を葛原茂樹が検討したところ、記載が不十分なため判定困難な例や診断の疑問な例を除いても、キノホルム中毒或いはスモン(疑いを含む。)とみられるものが三七編五〇症例にのぼった。

更に、片平らは、一九七六年(昭和五一年)八月二〇日から同年一一月二〇日までの間に、キノホルムの副作用報告と使用規制に関する質問表を世界九九か国の厚生関係者に郵送して回答を求めたところ、欧米主要国を含む四〇か国から回答が得られ、この調査の結果、西ドイツ、フランス等八か国から合計約六〇例のキノホルムの副作用の発生報告があった。

又スイス、チバ社の薬品副作用センターに集められた、日本以外の国における一九三四年(昭和九年)から一九七五年(昭和五〇年)までの間のキノホルム中毒の症例(クリオキノールの治療中に神経障害の観察された症例)は、キノホルムとの蓋然性の有無に拘らずこれに関連したかも知れないあらゆる神経障害の発症例を含めると、一七九例に達した。以上の事実が認められる。

右認定の事実によれば、諸外国においてもキノホルム中毒により神経症状を呈した症例は少なからず存在し、その中にはスモン又はスモンが疑われる症例もかなり含まれているものとみられ、又文献によって報告された症例数は実際の発生数を下廻っていると推測されるので、更に調査を組織的且つ精細に行えば発生数は更に増加するものと考えられる。従って、外国においては殆どスモンの発生は見られないとする被告会社らの主張は、誤りであるといわなければならない。

もっとも外国におけるスモンの発生頻度が前記行政措置前の我が国におけるそれと対比すると格段に少ないことは否定できず、かように外国において発生数が少ないとされている要因についても、弁論の全趣旨によれば、未だ十分に解明されていないことが認められる。しかしながら、その要因として、まず外国においては、スモンについての認識が一般に浅く、しかもスモン発生数についての組織的且つ精細な調査がなされていないため、その数を正確に把握し得ていないことにあることが考えられ、又外国と我が国におけるキノホルムの服用量・服用期間の差、外国人と邦人との体質(キノホルムに対する感受性)・生活・習慣・風土等の差、或いはキノホルムの吸収・分布・代謝・滞留等の過程における個体側の差といった種々の要因が検討されなければならないが、なかでもキノホルムの服用量等の服用状況の差は最も有力な要因と考えるべきであろう。ちなみに、《証拠省略》によれば、井形昭弘らが前記のとおりヨーロッパ諸国を調査した結果、殆どは少量短期投与であり、我が国のスモン症例の場合にみられるような大量長期投与例は発見されなかったことが認められるのであって、右の点はキノホルムの服用状況の差がスモンの発生頻度の差に大きな影響をもたらしていることを示唆しているということができよう。

以上のとおりであるから、外国と我が国におけるスモンの発生頻度にかなりの差があり、その差の生ずる要因につきなお未解明の点があるとはいえ、これをもってキノホルム説を全く否定し去ることはできないというべきである。

七  井上ウイルス説について

スモンの病因がキノホルムによるものと推定されることは後記のとおりであるが、被告田辺は、単にこれを争うのみでなく、スモンの病原はいわゆる井上ウイルスである旨強硬に主張するので、特にいわゆる井上ウイルス説の当否について判断を加えることとする。

1 井上ウイルス説の概要

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

井上ウイルス説は、井上幸重らの創唱にかかるスモンの病因論であって、同人らの主張するところは概略左のとおりである。即ち、

同人らは、スモン患者材料をBAT―6細胞に接種して細胞変性効果(CPE)を観察するというウイルス分離の手法を用いて、岡山、大阪、北海道の各地のスモン患者の糞便、脊髄液からのウイルス分離を試みたところ、岡山地方の五例のスモン患者の糞便からは全例、大阪地方のスモン患者の脊髄液一〇例中八例、北海道地方のスモン患者の脊髄液二九例中二三例からそれぞれウイルスが分離され、これらの分離の際、指標となった細胞変性効果はいずれもスモンウイルスに特異的であることが交叉中和試験によって証明された。そして、スモン患者材料からのウイルス分離率は約八〇%であった。なお、右スモンウイルス(井上ウイルス)の分離は、右の方法のほか、動物接種による方法及び発育鶏卵に接種する方法によっても成功した。

井上ウイルスの物理化学的性状については、エーテル感受性であること、DNA型に属することが確認され、又電子顕微鏡で捕捉され写真撮影された結果、該ウイルスは正六角形(六方晶系)の外観を呈し、一個のウイルス粒子は一六二個のカブソメアから成り、ヘルペス型ウイルスの定型的な形態をとっていることが判明した。

井上ウイルスは、鶏のヘルペス群ウイルスに属するILTウイルスの免疫血清によってのみその感染力が中和されることが判明したことなどから、ILTウイルスの変異株であろうと推論され、又スモン患者の臨床症状の推移と中和抗体価の消長を観察したところ、回復期に向うに従って中和抗体価の上昇が認められ、スモン患者の看護に当った健康な看護婦に中和抗体価の上昇のみられるものがあることなどから、いわゆる不顕性感染もあり得ることが証明された。

更に、井上らがスモン患者から分離した井上ウイルスの代表株をC57BL/6系哺乳マウスに接種するなどして、該ウイルスのスモン病原性に関する実験をしたところ、二、三週間後に主として立毛、体重減少、後肢麻痺を示して発症し、これを病理学的に検索したところ、脊髄後柱の頸部ゴル索、錐体路等に炎症性変化を伴わない対称性、両側性の軸索変化と脱髄が認められ、右の症状及び病理はヒトのスモンのそれと基本的には同一のものである。

以上の諸点から、スモンはウイルスによる感染症であるとするのが井上ウイルス説の骨子であり、西村千昭、島田宜浩ら一部研究者は、井上ウイルスの追試に成功したとして、右学説を支持している。

2 多数の研究者による追試の不成功とスモン班における研究凍結措置

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

井上幸重らによって昭和四四年末に井上ウイルス説が発表されるや、学界の大きな関心を集め、多くのウイルス学者によって追試がなされたが、ウイルスの存在及びスモンの病原性のいずれについても、前記の西村千昭、島田宜浩ら一部研究者の追試結果を除き、これを肯定する結果は得られなかった。即ち、井上ウイルスの存在については、永田育也、甲野禮作、吉野亀三郎、奥野良臣、東昇、クレッヒらの研究者によってそれぞれ細胞変性効果の追試或いは電顕的観察が行なわれたが、いずれもスモンウイルスの分離ないしウイルス粒子の発見をすることができず、又井上ウイルスの病原性についても、永田育也、桜田教夫、北原典寛、内田信之、松岡幸彦らの研究者によってそれぞれ動物実験による追試がなされたが、その病原性を肯定し得べき結果は全く得られなかった。

そして、スモン班においては、昭和四七年七月二〇日井上ウイルス説の検討会を開き、主として、前記永田育也その他の研究者によって行なわれたC57BL/6系哺乳マウスに対する病原性に関する追試結果を中心に論議した結果、一定の成績が得られず、その脊髄の病変に関する限りは、神経病理学者の意見によれば、ウイルスを接種しない同日令の幼若マウスにも同様の所見がみられ、むしろ髄鞘の発育過程の範囲内のものとみなされ、従ってヒトのスモン及びキノホルム投与による実験的スモンの脊髄病変とは性格を異にすると結論し、これ以上実験の数を増加しても意味がないとして、特別の新しい所見が得られるまでは、腸内細菌の研究以外の微生物学的研究を凍結することとして現在に至っている。

3 井上ウイルス説の評価

科学的研究領域においては、一般的な追試可能性によって真実であることの証明が得られるものであるところ、前認定の諸事実によれば、井上ウイルスの存在ないしスモンの病原性については、西村千昭、島田宜浩ら一部の研究者によってこれを肯定する追試結果が得られているのみで、多くの研究者の追試の結果ではむしろこれを否定せざるを得ないとされているのである(しかも井上ウイルス説を肯定する右追試結果もC57BL/6系の哺乳マウス等に対する井上ウイルスの接種によって得られたとされているにとどまるのであって、犬、猫、猿その他マウス以外の動物種についての肯定の報告は見当らないのである。)から、井上ウイルスの存在については、未だその証明がないといわざるを得ない。更に、ウイルス説をもってしては、我が国以外にスモン発症の少ないこと及びキノホルム剤の販売・使用中止の行政措置以後、井上ウイルスに対する予防接種その他の宿主対策や環境対策が全く講ぜられなかったにもかかわらず、スモン発症が激減、終熄した事実を合理的に説明することは極めて困難である。後者の点につき、被告田辺は、スモン発症の減少ないし終熄は不顕性感染により天然の免疫現象が生じたためと主張するが、右主張は、前記行政措置後のスモン発症の激減に関する限り、キノホルム説に比し、極めて説得力に乏しいものといわなければならない。又病理面についても、仮に井上ウイルスをslow virus infectionと考えたとしても、このinfectionによる病変の分布はスモンのそれに比して遙かにランダムであり、スモンの病理とは矛盾するから、この点からも井上ウイルスがスモンの病因とは認め難い。

以上の次第で、いわゆる井上ウイルスをもってスモンの病因であるとする被告田辺の主張は採用できない。

八  スモンの病因についての結論

前叙のとおり、原告らがキノホルム説の論拠として主張した諸点はすべてこれを肯認することができ、キノホルム説に対する前述の主要な疑問点も、なお未解明な点を残しているものの、キノホルム説そのものを否定し去る論拠とはなし得ないというべきであり、又被告田辺の主張する井上ウイルスもスモンの病因とは認め難いのである。

以上認定及び説示したところからすれば、スモンの発症機序はキノホルム説の立場からしても完全に解明されていないとしても、スモンがキノホルムの服用によって発症した事実は高度の蓋然性を以てこれを認め得るものというべく、従って、キノホルムの服用とスモンとの間の因果関係の存在を肯認することができる。

第二章責任

第一被告会社らの責任

一  被告会社らの行為

被告会社らが原告ら主張のとおり、厚生大臣の許可又は承認を得て、別紙「キノホルム剤許可等一覧表」記載の本件キノホルム剤を製造又は輸入のうえ販売したことは、当事者間に争いがない。

二  無過失責任の主張について

原告らは、本件スモンにより原告らの蒙った被害は代表的な薬害の一つであり、これは利潤追求を至上目的とした安全性無視の医薬品の大量生産・大量販売に代表される現代資本主義の構造に根ざしたものであって、いわゆる「構造的被害」の諸特徴をもつものであること等から、原告らにおいて過失の立証を必要としないという意味での無過失責任の法理が採用されなければならない旨主張する。

しかしながら、仮に本件スモンによる被害につき原告らの主張するような諸特徴がみられるとしても、現行民法は不法行為については明確に過失責任主義を採っている(七〇九条)から、原告ら主張の無過失責任の法理は、立法論としてはともかく、現行法上の解釈論としては到底これを採用し得ない。

三  被告会社らの注意義務

1 医薬品製造業者の注意義務

(一) およそ医薬品は多面的な作用があって、有用性のみならず有害性をも有し、本来的に危険性が内在しているものであるが、殊に合成化学物質を素材とする医薬品は、これを摂取する人体にいかなる害作用を及ぼすか未知の部分が大きいのみならず、その製造の過程において化学反応によりいかなる物質が副生されるかも知れず、人体に対する危険性は一層大きいということができる。しかも、現代社会においては、医薬品が大量に供給、服用される現状にあるのに、一般の服用者は、医薬品の安全性を確認する手段も能力もなく、いわば無防備の状態におかれているから、安全性に欠陥のある医薬品が流通におかれた場合にもたらされる被害は質量とも甚大なものになる虞れがある。そして、医薬品製造業者は、医薬品の製造販売によって利潤を挙げているのが通例である。以上の諸事情に鑑みれば、医薬品製造業者、殊に合成化学物質を素材とする医薬品の製造業者は、医薬品の安全性確保のために最高の学問的水準に拠った高度且つ厳格な注意義務を条理上負うものといわなければならず、しかも、右注意義務は、当該医薬品が日本薬局方等に収載されているか否か、又所管行政庁によって製造承認等がなされているか否かによって、何らの差異を来たすものではないというべきである。けだし、薬局方等の公定書の収載は、当該医薬品が科学的に安全であることを確定する効果をもたらすものでないことはいうまでもないところであり、又所管行政庁による製造承認等の制度は、薬事法に基づき国民の生命、健康の保全という公共目的の実現を本来の趣旨として設けられたものであって、製薬業者の右注意義務を軽減ないし免除する性質のものではないからである。従って、キノホルムが日本薬局方収載医薬品であることを理由に製造業者の医薬品安全確認義務が免除ないし大巾に軽減されるとする被告田辺の主張は到底採用できない。

(二) 医薬品製造業者は、前記の医薬品の性質や安全性を欠如した医薬品のもたらす結果の重大性に鑑み、その製造に当っては、内外の文献を調査し、動物実験及び臨床実験等の各種試験を行ない、又製造過程においては、品質の管理に万全を期し、発売に際しては、用法・用量・効能その他の使用上の指示を的確に行ない、販売開始後も積極的に臨床使用例を追跡調査する等して、副作用情報等の収集に努め、場合によっては再度の各種試験を実施し、或いは警告を発し、万一安全性に疑惑を生じたときには製品を回収する等、医薬品の安全性確保のために必要と考えられる可能な限りの方法を速かにとらなければならない高度な安全性確保義務が課せられているものと解される。

2 医薬品輸入業者の注意義務

医薬品製造業者に前述のような医薬品の安全性確保義務が課せられているのは、医薬品の製造という技術的工程に関与したがためではなく、安全性を欠いた医薬品を大量且つ継続的に市中に流通させる虞れがあるという、源泉供給者としての立場を把えたことによるものであるところ、医薬品の製造という技術的工程に関与しない輸入業者であっても、外国で製造された医薬品を輸入して日本国内の流通下におき国民にこれを源泉的に供給するという本質的な点においては、製造業者と何ら異なるところはない。

又医薬品の作用(有用性・有害性)には人種差の認められるものがないわけではないから、外国での医薬品の有用性及び有害性についての臨床成績をそのまま我が国に当てはめることはできないうえ、ひとたび当該医薬品によって事故が発生した場合に、外国にある製造業者の責任を問うことが困難な場合も充分に予想されるところである。

以上の諸点に鑑みれば、医薬品輸入業者についても、製造業者と同一内容の医薬品安全性確保義務が課されているものと解するのが相当であり、このことは、薬事法二二条、二三条が、医薬品の輸入販売業者について一般の販売業者と区別して、許可基準・遵守事項について製造業者と同一の規制に服すべきものと定めていることからも推論し得るところである。

3 医薬品販売業者の注意義務

(一) 医薬品の単なる販売業者即ち卸売業者、小売業者等の中間販売業者は、単に流通過程に介在するのみであって、積極的に取扱医薬品に手を加えることはないのみならず、自ら取扱医薬品の安全性を調査研究してこれを確認する手段も資力も又能力も有しないのが通例であるから、製造・輸入業者に要求される前記のような高度の安全性確保義務を負うものでないことは明らかである。しかしながら、右のような単なる販売業者とは異なり、自ら医薬品を製造しこれを販売するための経路を有する製薬企業が他社の製造又は輸入にかかる医薬品を自社の販売網に乗せて独占的に販売する場合には、製造・輸入業者と販売業者が一体となって当該医薬品を源泉的に供給するものということができ、又右のような販売形態をとる販売業者は自ら取扱医薬品の安全性を確認する手段や能力を有するのが通例であるから、当該医薬品の製造・輸入業者と同一視し得る地位にあるものであり、従って、製造・輸入業者と同一内容の安全性確保義務を負うものといわなければならない。

(二) ところで、被告武田の責任に関し、原告らは、同被告はかつてキノホルム剤を自ら製造したことがあり、又被告チバの製品の総発売元として、自社の販売網を利用して、被告チバの輸入・製造にかかる本件キノホルム剤を我が国において一手に販売してきたのであるから、製造・輸入業者と同一の注意義務を負うと主張するのに対し、被告武田は、単なる中間販売業者の地位にあったにすぎない旨抗争するので、判断するに、《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 被告武田は医薬品等の製造販売を目的とする大規模な製薬企業であって、その業務内容は、自社製品の製造販売と他社製品の仕入販売とに大別することができ、全国に約一三〇店に上る特約卸店を持つ等して確固たる販売経路を有すると共に、自社製品の研究・開発を目的とした充実した研究設備をも有している。

(2) 被告武田とチバとのかかわりは、大正二年(一九一三年)に被告武田(当時は武田長兵衛商店)が関西における全チバ製品の特約店となったことに始まり、大正一一年(一九二二年)には被告武田(武田商店)はチバ製品の我が国における総代理店発売元となり、その後昭和一三年(一九三八年)に至り、従来の契約を一歩進めて、被告武田(武田商店)は、ヴィオフォルムその他の製品につきその製造権をスイス、チバ社から移譲され、同被告において国産品としてこれを製造販売することとなった。

(3) 被告武田は、昭和二八年(一九五三年)三月三一日付で、被告チバの前身であるチバ製品株式会社との間にチバ製品につき一手配給契約を締結し、同時に、当時チバが我が国内に製造工場を有しなかったため、被告武田がチバの供与する原末等の材料をチバの指示に基づき打錠又は小分けして製品にすることを内容とする製造契約をも結び、右契約に基づいて、自ら製造の許可を得て、昭和二八年以降昭和三六年四月頃までチバから供与されたキノホルム原末を用いて、エンテロ・ヴィオフォルム「チバ」、エンテロ・ヴィオフォルム末「チバ」及びエンテロ・ヴィオフォルム散「チバ」を製造し、これを販売していた。

(4) 前記一手配給契約は、昭和三三年(一九五八年)三月一日付で若干の修正がなされたが、両者は基本的には殆ど変るところはなく、その骨子とするところは要するに、チバは被告武田を我が国におけるチバの医薬品の一手配給人に指定し、武田はかかる一手配給人として、チバのために我が国内におけるその製品の最大の配給を確保すべく、力量の範囲内でできる限りのことを行なうものとし、又チバの承諾を得ずして新規競争医薬品会社のために一手配給権を引受けないことを約するというにあり、右の「一手配給人の指定」の結果、チバ自身も我が国においては被告武田以外の第三者にチバの医薬品を販売させることはできず、又自らこれを販売することもできないとの制約を受けるに至った。そのため、被告武田は、昭和三六年に被告チバが宝塚工場を新設し、我が国内において自ら医薬品の製造を開始した後も、右配給契約に基づき、同工場から送られてくるチバ製品を受領し、自らの手でこれを販売していた。

(5) 被告武田は、少なくとも昭和二八年頃から昭和三八年に至るまでの間、国内の病院、薬局等にキノホルム剤の製品紹介と販売拡張を依頼する趣旨の記載された「武田時報」を配布して、チバ製品の販売促進活動を行なった。

以上認定のとおり、被告武田は、自ら医薬品の製造に当り且つ全国に確固たる販売経路を有する大規模な医薬品会社であり、古く大正年代から被告チバと協力関係にあったところ、昭和二八年に前記一手配給契約を締結した後は、被告チバとまさに一体となって、本件キノホルム剤を含むチバの医薬品を自社の販売網に乗せて独占的に販売し、しかも、積極的にその販売促進活動をも行なっていたのであるから、当該医薬品に関しては被告チバと同一視し得る程度に一体となってその販売をなす地位にあったということができる。従って、被告武田は医薬品の販売業者にすぎないとしても、その取扱にかかる本件キノホルム剤の安全性確保については、製造・輸入業者である被告チバと同一の注意義務を負い、その義務懈怠によって生じた損害は、被告チバと連帯してこれを賠償すべき責任があるといわなければならない。

四  被告会社らの過失の有無

1 予見可能性の程度

およそ或る行為につき民法七〇九条所定の「過失」があるとするためには、行為者において当該行為により或る結果の発生することを予見し得べきであったのに、これを予見しなかったことがその要件となることは、多言を要しない。

ところで、医薬品の被害に関し当該医薬品の製造・輸入・販売についての過失の有無が問題となる場合において、その予見可能性を肯定するためには、当該医薬品によって、人体にとって無視し得ない障害が生ずるかも知れないという危惧感があることだけでは不十分であるが、さりとて現実に生じた障害の結果そのものを必ずしも予見し得る必要はなく、それと関連する障害を予見することが可能であれば足りると解すべきであり、本件においては、スモンそのもの或いはスモンとの関連性を推論し得る何らかの神経障害の予見が可能であれば足りると解するのが相当である。

2 予見可能性の有無

本件原告ら(但し原告加藤きみを除く。)は、いずれも本件キノホルム剤を服用してスモンに罹患したものであることは、第三章第二において説示するとおりであり、本件キノホルム剤中最も早く製造・販売が開始されたのは昭和三一年一月であるから、右時点において、本件キノホルム剤の成分であるキノホルムについて前記程度の予見が可能であったか否かについて以下検討する(若し右時点で予見可能性が肯定されるならば、原告加藤きみを除く全原告についてこれを肯定することができることはいうまでもない。)。

原告らは、本件の場合、第一にはキノホルムの劇薬性ないし人体への吸収性から、第二にはキノホルムの化学構造―類似構造化合物の毒性から、第三にはキノホルム自体についての害作用情報から、被告会社らが本件キノホルム剤の製造・販売を開始した頃までには、本件キノホルム剤によって人体に神経障害を含む重篤な害作用が生ずるかも知れないことが十分に予見し得た旨主張する。

そこで、原告ら主張の右の諸点から、右の時点においてスモンそのもの或いはスモンとの関連性を推論し得る何らかの神経障害の予見が可能であったか否かを順次検討する。

(一) キノホルムの劇薬性ないし人体への吸収性からの予見可能性の有無

(1) まずキノホルムの来歴並びに我が国における劇薬の指定とその解除の経緯についてみるに、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(イ) キノホルムは、一八九八年(明治三一年)頃バーゼル化学工業株式会社によって合成されたいわゆる合成化学物質で、一九〇〇年(明治三三年)頃から外用の消毒殺菌薬(商品名、ヴィオフォルム)として発売され、一九三四年(昭和九年)から抗アメーバ剤(商品名、エンテロ・ヴィオフォルム)として経口薬として用いられるようになり、その後、胃腸炎、大腸炎及び下痢一般に対しても次第に服用されるようになったもので、我が国には一九三四年頃輸入され、一九三九年(昭和一四年)に行なわれた第五改正日本薬局方の一部改正により、はじめて局方品として収載されるに至った。

(ロ) キノホルム原末(当時のヴィオフォルム)は、昭和一一年一〇月一日施行の内務省令第一九号により劇薬に指定されたが、前記のとおり、昭和一四年の第五改正日本薬局方の一部改正により局方品として収載され、次いで昭和一五年二月一日施行の厚生省令第三六号により劇薬指定を解除された。

(ハ) 当時毒劇薬の取扱については、薬品営業並薬品取扱規則(明治二二年法律第一〇号)があり、同規則に毒薬・劇薬の指定の制度があって、前記劇薬の指定はこれに基づいてなされたものであるが、その指定の基準を明示した法令はなく、その基準は時代により必ずしも一定しなかったけれども、キノホルムが劇薬に指定された昭和一一年当時には、その当時の知見をもとにして、およそ次のような基準が考えられていた。即ち、毒薬・劇薬とは、①小量で危害を生ずる虞れのあるもの、②中毒量と薬用量が極めて接近しているもの、③慢性中毒その他連用により危害を生ずる虞れのあるもの、④特異体質に対し危険な反応を呈し易いもののいずれかに該当するものを指し、①については、大体において成人経口致死量一グラム以下のものを毒薬、一グラム以上一五グラム以下のものを劇薬とするという標準を仮に設け、ヒトの致死量に関する文献の拠るべきもののない薬品については、動物に対する致死量を参照し、大体において動物体重一キログラムに対し、経口致死量二〇ミリグラム以下程度のものを毒薬、経口致死量三〇〇ミリグラム以下程度のものを劇薬とすることとされていた。

(ニ) ところで、一九三一年(昭和六年)H・H・アンダーソンらが「生物学的作用に対するオキシキノリンのハロゲン化の影響」と題して発表した共同研究報告によると、ヨードクロールオキシキノリン(キノホルム)は、モルモットに対しLD50値の経口投与量が二〇〇mg/kg以下(右の投与量で一〇匹中七匹が死亡した。)であって、抗バランチジウム作用は最大であるが、毒性も大きいとされており、又一九四四年(昭和一九年)N・A・デーヴィッドらが「ヨードクロールハイドロキシキノリンとジョードハイドロキシキノリン、動物での毒性とヒトでの吸収」と題して発表した報告によれば、キノホルム(ヴィオフォルム)の経口投与時のLD50値はモルモットで約一七五mg/kg、子猫で約四〇〇mg/kgであり、子猫に三五〇mg/kgを一回経口投与したところ七匹中二匹が死亡したとされており、更にスイス、チバ社が一九四一年(昭和一六年)から一九五二年(昭和二七年)にかけて行なった一連の社内実験においても、ヴィオフォルム及びエンテロ・ヴィオフォルムで家兎及びマウスについて経口投与LD50値三〇〇mg/kg以下の結果を得た。

以上の知見によれば、キノホルムは、動物における経口投与LD50値は三〇〇mg/kgであるという劇薬指定の前記基準を十分に満たすもので、その使用については十分な注意を要する薬品であるということができる。

なお、キノホルムに対する前記劇薬指定の解除は、その安全性が確認されたことによるものではなく、時局柄国産医薬品の生産奨励により可及的自給方策を講ずる目的でなされたことが《証拠省略》によって窺われるのであって、右は医薬品の安全性確保の見地からすれば当を得たものでなかったことは明らかである。

以上認定のとおり、キノホルムは、一九世紀末に初めて合成されたいわゆる合成化学物質で、かつて劇薬にも指定された程強い毒性と激しい作用を有し、しかも、当初外用の消毒殺菌薬として開発されたのに次第に内服薬として用いられるに至ったという経過があって、その使用については十分な注意を要する薬品であり、そのことからして、これを安易に使用するならば人体にとって無視し得ない危険を生ずることは十分に予見し得たところである。

(2) キノホルムは、当初外用の消毒殺菌薬として開発された強力な作用を有する薬剤であるのに、その後内用されるに至ったことは前段認定のとおりであるから、それが消化管から吸収されるか否かは、人体に対する害作用を予見するうえで極めて重要であるといわなければならない。そこで、キノホルムの生体内吸収に関する文献・報告の有無について判断するに、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(イ) A・パルムは、既に一九三二年(昭和七年)に「キノリン系列における研究第一〇報、ジョード化合物」と題する報告において、ジョードオキシキノリンを兎に経口投与して実験した結果、右は水に不溶であるにもかかわらず比較的速やかに吸収され、概して尿から再び排泄されることが明らかである旨報告したが、この報告については、昭和一六年発行の高瀬豊吉著「化学構造ト生理作用」中に、「パルム氏は、6・7ジョード8ハイドロオキシキノリンの体内における運命を研究し、本品は容易に腸より吸収され」るとしている旨記載されて、遅くともその頃には我が国にも紹介された。

(ロ) N・A・デーヴィッドらは、ヴィオフォルムに関する一連の研究を行ない、一九三三年(昭和八年)に発表した「ヨードクロールハイドロキシキノリン(ヴィオフォルムN・N・R)によるアメーバ症の治療」と題する報告において、ヴィオフォルムをモルモット等に経口投与したところ、胃腸管からいくらか吸収され、一部尿中に排泄されることが判明したとし、又一九四四年(昭和一九年)に発表した前掲「ヨードクロールハイドロキシキノリンとジョードハイドロキシキノリン、動物での毒性とヒトでの吸収」と題する報告においては、ヴィオフォルムを正常人に経口投与し血中ヨウ素濃度を測定する等の実験を行なったところ、ヴィオフォルムが人体に吸収されることが認められたとしており、更に一九四五年(昭和二〇年)に発表された後掲「経口殺アメーバ剤の無規制な使用」と題する論文(いわゆるデーヴィッド警告)においても、ヴィオフォルムが人体に吸収されることを前提として、キノホルムの無制限な使用の危険性を警告した。

(ハ) A・A・ナイトらは、一九四九年(昭和二四年)の「アナヨジン、キニオフォン、ヴィオフォルムのヒトにおけるヨウ素吸収の比較研究」と題する報告中で、ヴィオフォルム等をヒトに投与し血中ヨウ素濃度を測定した結果、いずれの薬剤もある程度吸収されると述べている。

(ニ) W・T・ハスキンスらは、一九五〇年(昭和二五年)の「放射性ヨウ素によって測定した兎でのジョードキン、ヴィオフォルム及びキニオフォンの生理的性質」と題する報告、並びに一九五三年(昭和二八年)の「兎におけるヴィオフォルム及びジョードキンの尿中排泄」と題する報告中で、兎にヴィオフォルムを投与し吸収排泄実験を行なった結果、ヴィオフォルムが体内に吸収されて尿中に排泄される旨述べている。

以上のとおり、キノホルムの吸収に関する事実は、既にパルム、デーヴィッドらによって明らかにされ、更にナイト、ハスキンスらの実験によってその裏付けがなされていたのであるから、キノホルムを内服するとこれが人体に吸収され害作用をもたらす危険のあることは、十分に予見し得たものと考えられる。

(二) キノホルムの化学構造―類似構造化合物の毒性からの予見可能性の有無

原告らは、薬学の分野においては、化学構造の類似した物質は相互に類似した作用、毒性を有する(類似構造・類似作用)との経験則が存在するから、その予見可能性の有無は類似構造物質をも含めて検討さるべきところ、キノホルムとキノリン核を共有しているキノリン、8ハイドロオキシキノリン、ハロゲン化8ハイドロオキシキノリンその他のキノリン誘導体については、神経毒性を含む重篤な害作用の報告があるから、この点からも前記の予見可能性を肯定し得る旨主張する。

《証拠省略》によれば、或る物質群では薬の化学構造と薬理作用との相関関係が認められ、いわゆる「類似構造・類似作用の法則」の存在することが経験的に知られている一方、類似構造の化合物が必ずしも類似の作用をするとは限らず、それが思いがけない作用を呈することもあり、現在の科学水準では、どのような構造の物質が目的とする薬効を示すかということを構造式から完全に予測することは困難であることが認められる。このように、現状では、或る薬物の化学構造式からその薬理作用を予測することは困難であるから、医薬品の開発に当っては、その安全性確保の見地から、できる限り多項目にわたって細心のテストを行ない、予測し難い副作用の発見に努めるべきであるが、一方「類似構造・類似作用の法則」も存在するのであるから、特に副作用の情報収集の面からは、類似構造化合物について既に知られている副作用が新医薬品によって発現しないか否かを十分に研究しなければならない。

ところで、キノホルムは芳香族化合物の一種で、キノリン核に水酸基、ハロゲンを導入した化合物であり、キノリン、8ハイドロナキシキノリン、ハロゲン化8ハイドロオキシキノリン等とキノリン核を共有する同一系列の化合物であるので、以下、右類似構造化合物の神経毒性に関する情報の有無について検討する。

(1) 芳香族化合物の神経毒性

《証拠省略》によれば、キノホルムの属する芳香族化合物一般に通有する性質として、中枢神経を初め刺戟によって興奮させ、後に麻痺させる神経毒性があり、そして、芳香族炭化水素を水酸化、ハロゲン化することによって生理作用も毒性も増大すること、芳香族化合物はもともと脂溶性に富んでいるところ、それがハロゲン化されると一層脂溶性が高まること、及び脂溶性に富む薬物ほど脂質に富んだ神経組織の中に溶け込み易く麻酔作用が強くなるとするマイヤー・オーベルトンの古典的な学説があるが、以上はいずれも古くからよく知られていたことが認められる。

キノホルムは芳香族化合物を水酸化しハロゲン化した化合物であるから、芳香族化合物の通有する前述の性質からしても、神経毒性を有し、水酸化、ハロゲン化により一層その毒性が増し、しかも脂溶性に富み神経組織に取り込まれ易く神経障害の原因をなす可能性があるということができる。

(2) キノリンの神経毒性

前述のとおり、キノホルムはキノリンを基本骨格として合成された化合物であるところ、《証拠省略》によれば、キノリンの神経毒性については、次のような内外の実験報告や教科書の記載があった、即ち、(イ)A・ビアックらが一八八一年(明治一四年)に「キノリンの生理的作用に関する実験」と題してなした動物(家兎)実験報告によると、キノリンの大量投与を受けた供試家兎に活動力の低下即ち殆どの場合、疲労、知覚の鈍化、反射機能の大巾な低下が認められ、投与量〇・六ないし一グラムの場合には、完全な麻痺状態に陥り、あらゆる反射機能を失い虚脱状態で死亡したとあり(右文献は昭和六年には大阪大学図書館に蔵されていた。)、(ロ)R・ハインツが一八九〇年(明治二三年)に「ピリジンとピペリジン、キノリンとデカヒドロキノリン」と題してなした動物(蛙)実験報告によると、キノリンは一方では中枢麻痺をきたし、他方運動神経の機能を著しく低下させる(もっとも、知覚神経終末は完全で、筋肉組織は殆ど全く損傷されない。)、とあり(右文献も昭和六年には大阪大学図書館に蔵されていた。)、(ハ)一八九三年(明治二六年)発行のR・コーベルト著「中毒学教科書」中には、「キノリンは原形質毒で、その結果として微生物殺菌効果を示し、胃腸管の刺戟作用、血球破壊作用を持ち、中枢神経系の敏感な神経細胞、原形質及び血管壁を障害する。」「多少の中枢刺戟がみられたのち、心及び呼吸中枢の麻痺において死亡する。」との記述があり、(ニ)一九三八年(昭和一三年)発行の杉原徳行著「薬学用薬理学」中には、キノリンの中枢作用につき、キノリンは吸収されて中枢に対して初め興奮的に、後に麻痺的に作用する旨、又その末梢作用につき、キノリンは知覚神経麻痺の傾向を有するけれども著しくない旨の記述があり、(ホ)昭和一六年発行の前掲高瀬豊吉著「化学構造ト生理作用」中には、キノリンも中枢神経を刺戟し、後麻痺する、殊に延髄において明らかである旨の記述のあったことが認められる。

以上の事実によれば、既に一九世紀の当時から、キノリンには神経、特に運動神経を初め興奮させ後に麻痺させるという特徴を有する毒性のあることが知られており、これを示す各種文献が昭和初期には既に我が国内にもあったことが明らかである。

(3) 8ハイドロオキシキノリンの神経毒性

8ハイドロオキシキノリンはキノリンの8位の水素原子を水酸基で置換した構造をもつ化合物であって、キノリンよりも更にキノホルムに類似した化学構造を有する物質であるところ、《証拠省略》によれば、8ハイドロオキシキノリン自体の神経毒性に関し、(イ)一九三八年(昭和一三年)発行の前掲杉原徳行著「薬学用薬理学」は、その中枢作用につき、キノリンと同様に概して初め興奮、後に麻痺作用を呈するが、作用度は概してキノリンに比して強く、各異性体によって相違がある旨、又末梢作用につき、原形質作用によって知覚神経に対して初め刺戟的に後に麻痺的に作用する旨記述し、(ロ)昭和一六年発行の前掲高瀬豊吉著「化学構造ト生理作用」は、8ハイドロオキシキノリンの毒性はキノリンに比して強く、極く少量でも中毒症状を呈し、多少初期に中枢神経系に刺戟が見られる旨記述し、(ハ)F・クレスサイテリーが一九五〇年(昭和二五年)に「蛙の神経に対するオキシン、カルボスチロール及びキノリンの作用」と題して発表した蛙の神経繊維に及ぼすオキシン(8ハイドロオキシキノリン)の効果に関する実験報告中にも、それが蛙の坐骨神経の繊維の伝導を停止させ、この伝導の完全遮断が起ってから一五分以上8ハイドロオキシキノリンにさらされていると回復が不完全となったり、それが不能となったりする旨の部分のあることが認められ、更に、8ハイドロオキシキノリンを塩類にして毒性を弱めたキノゾールの神経毒性についても、(ニ)W・シャルロッテンブルグが一九〇六年(明治三九年)に「眼振毒について」と題し、又翌一九〇七年(明治四〇年)に「キノゾールとリゾールとクレゾルとの毒物学的比較」と題してそれぞれ発表した動物(兎)実験報告中には、「キノゾールの経口投与では量を増やして死亡直前に痙れんが起った、この痙れんは最初は間代性の特徴をもっていたが、後テタニー様の伸展痙れんに移行した、皮下投与の場合には〇・二グラムの少量で数時間続く興奮が認められ、続いて一過性の下肢の麻痺が起り、多い量では……呼吸困難が起り、下肢は麻痺し、伸展麻痺に移行した、腹腔内投与においても間代性ないしテタニー様の痙れんが主症状であった、」との部分があり、(ホ)D・I・マハトが一九二八年(昭和三年)に「膣からのキニーネとオキシキノリン硫酸塩の吸収に関して」と題して発表した、オキシキノリン硫酸塩(キノゾール)等の毒性に関する動物実験報告にも、猫、兎、蛙、白ラット等にキノゾールを投与したところ、痙れん、呼吸困難、手足の麻痺その他の神経障害が見られ、それが決して無毒でないことが見い出された、とあり、又8ハイドロオキシキノリンの5位にスルホン酸を導入して毒性を弱めたヤトレン(キニオフォン)についても、(ヘ)シューベルが一九二四年(大正一三年)に発表した「ヤトレンの毒性学」と題する研究論文には、ヤトレンをウグイ、蛙、二十日鼠、猫等に投与したところ、呼吸困難、呼吸停止、手足の運動失調や麻痺等の神経障害が起った旨の記述があることがそれぞれ認められる。

以上の事実によれば、キノリンよりも更にキノホルムに類似した化学構造を有する8ハイドロオキシキノリンは、初め興奮、後に麻痺というキノリンと同じ型の神経毒性を持ち、その毒性の程度はキノリンの場合よりも更に強く、しかも運動神経のみならず、知覚神経に対しても作用するものであり、このことは、前示の各文献により、かなり以前からこれを知り得たものということができる。

(4) ハロゲン化8ハイドロオキシキノリンの神経毒性

キノホルムは8ハイドロオキシキノリンをハロゲン化したものであるが、一般に芳香族化合物はハロゲン化することにより毒性が増大するとされていることは前述のとおりである。ところで、《証拠省略》によれば、8ハイドロオキシキノリンをハロゲン化した場合の毒性の増大の有無に関して、H・Hアンダーソンらが一九三一年(昭和六年)に「生物学的作用に対するオキシキノリンのハロゲン化の影響」と題して発表した前掲共同研究報告には、実験の結果、毒性はオキシキノリンのハロゲン化につれて、又そのハロゲンの原子量に比例して増大することが認められる、つまり、クロールオキシキノリンはオキシキノリンよりも多少毒性が強く、ヨードオキシキノリン化合物は塩素含有オキシキノリン化合物より稍強い毒性を持つ、オキシキノリンにヨウ素と塩素の両方を加えるとかなり毒性が増す旨の記述のある(右文献は東大図書館に蔵されていた。)ことが認められる。キノホルムは8ハイドロオキシキノリンをヨウ素と塩素でハロゲン化したものであるから、アンダーソンらの右報告によっても、それが8ハイドロオキシキノリンよりも更に一層強い神経毒性を有する可能性があると考えるのがむしろ当然であったといえよう。

以上(1)ないし(4)において認定したとおり、キノホルムとキノリン核を共有する同一系列の類似構造化合物であるキノリン、8ハイドロオキシキノリン、ハロゲン化8ハイドロオキシキノリンについては、いずれも神経を初め刺戟興奮させ後に麻痺させるというスモン類似の神経毒性を有する旨の副作用情報(各種文献)が古くから存在し、しかも、その信頼性の程度は相当高いと考えられる。

(三) キノホルム自体についての害作用情報からの予見可能性の有無

原告らは、右害作用情報を大別すると、組織培養試験の結果報告、動物実験結果報告及び臨床報告であると主張するので、これについて順次判断する。

(1) 組織培養試験で得られた神経毒性に関する副作用情報

《証拠省略》によれば、M・J・ホーグが一九三四年(昭和九年)に「抗アメーバ薬の組織培養細胞に対する作用についての研究補遺」と題して発表した、キノホルムその他の抗アメーバ剤が鶏胚消化管組織培養細胞に与える影響の実験結果報告には、キノホルム(ヴィオフォルム)千分の一稀釈で培養したところ、翌日神経と繊維芽細胞の大部分が死滅し、五万分の一稀釈で培養した結果、いずれの組織に対してもすぐには作用を示さなかったが、翌日殆どすべての繊維芽細胞と神経が死滅した(同時に実験したカルバルソンやプロパルサミドでは、千分の一の濃度でも神経を死滅させることはなかった。)とあることが認められる。

右の報告は、キノホルム自体に前段認定の類似構造化合物にみられたのと同種の神経毒性の認められることを細胞レベルで裏付けたものということができ、キノホルムの神経毒性についての重要な情報である。

(2) 動物実験で得られた神経毒性に関する副作用情報

《証拠省略》によれば、スイス、チバ社はかねてから製造薬品の品質管理の一環として、一切の製造薬品につき定期検査を実施し、一九三〇年代後半からは急性毒性試験をも行なってきたが、(イ)一九三九年(昭和一四年)に同社がヴィオフォルム、サパミン、エンテロ・ヴィオフォルムの三種の薬品につき、猫、家兎、マウスを使って行った急性毒性試験の実験報告によると、エンテロ・ヴィオフォルムを投与された猫に痙れん、振顫、及びよろめき歩行、硬直性・動揺性歩行等の歩行障害が見られ、(ロ)一九四四年(昭和一九年)に同社が家兎に対する各種のブロムクロールオキシキノリン及びエンテロ・ヴィオフォルムの毒性を比較研究した実験報告によると、右の薬品には、程度の差はあってもすべて毒性があり、外面的な中毒症状は稀にしか現われないが、大抵麻痺症状として発現するとあり、(ハ)一九五一年(昭和二六年)に同社が家兎に対して行なったキノホルムの毒性実験報告によると、キノホルムを投与された動物の中毒症状は食欲の減少と全身の感覚鈍麻であることが認められる。

以上の実験報告によると、キノホルムの投与により、痙れん、歩行障害、麻痺或いは感覚鈍麻の生じたことが認められるが、右の各症状はいずれも神経系統に何らかの障害の生じたことを疑わせるものということができる。

《証拠省略》によれば、N・A・デーヴィッドらは、スイス、チバ社の援助のもとに一九三〇年(昭和五年)から一九三二年(昭和七年)にかけてモルモット等に対するキノホルム等の経口投与による毒性実験を、又一九三九年(昭和一四年)から一九四一年(昭和一六年)にかけてモルモットと猫に対するキノホルム等の投与による毒性実験をそれぞれ行なったが、その結果、嗜眠(意識明瞭度の障害)という中枢神経に対する障害、抑制の症状とみられる状態の出たことが認められる。そして、《証拠省略》によれば、デーヴィッドは、右一連の研究をふまえ、いわばその締めくくりとして、一九四五年(昭和二〇年)にアメリカ医師会雑誌(一二九巻五七二頁)に掲載した「経口殺アメーバ剤の無規制な使用」と題する論文で、「現在数種の有効な殺アメーバ剤が手に入る。米国薬局方は、キニオフォン、カルバルゾン及び塩酸エメチンを収載しており、N・N・Rはヴィオフォルム、ジョードキン及びアセタルゾンを殺アメーバ剤として認めている。これらの薬物は、もともと毒性があり、予期せぬ副作用を生ぜしめることがあるから、それらの使用は或る一定の規制に従うべきである。即ち、①治療は一〇日から一四日の短期間に制限すべきである。②これら経口殺アメーバ剤のうちいずれかにより、更に別の治療コースを始める時には、少くとも、二、三週間の休薬期間をおき、糞便がアメーバ陽性であることを確認しておかなければならない。③ヨウ素含有化合物のキニオフォン、ヴィオフォルム、ジョードキン及び砒素剤のカルバルゾンとアセタルゾンは、肝障害又はその疑いのある患者や、薬物過敏性を有することが分っている患者には禁忌である。④これら薬物のうちの何れをも、非アメーバ性下痢の治療に対し、経験的に使用すべきでない。」と述べて、キノホルムには予期せぬ有害作用があるから、その使用上一定の規制を設けるべきであり、特に非アメーバ性下痢の治療に用いてはならない旨の警告を発したことが認められる。

右のいわゆるデーヴィッド警告は、それが有力な医学者によって長期間にわたる一連の動物実験等の研究の結果、いわばその総括として発せられたものであるだけに、該研究の援助をしたチバ社はもとより、他の製薬業者にとっても、キノホルムの害作用を考えるうえで極めて重要な情報であるといわなければならない。

(3) 臨床報告における神経毒性に関する副作用情報

臨床報告における神経症状のうち、特に注目に価するのは、後述のグラヴィッツ及びバロスによってそれぞれキノホルムの投与により人体にスモン様症状の発生したことの報告である。即ち、《証拠省略》によれば、(イ)P・B・グラヴィッツは、一九三五年(昭和一〇年)ラ・セマーナ・メディカ誌に、「アメーバ症治療の新しい方向」と題する報告を発表し、その中で、キノホルムの副作用としての腹部症状及び神経症状につき、「アメーバ症患者にヴィオフォルムを連続投与したところ、ヴィオフォルムの主な副作用は便秘であり、その結果、心悸亢進、疼痛、膨満感等の種々の異常を伴って鼓腸が突発する虞れがあり、いくつかの症例では、激痛を伴った結腸炎の発作や嘔吐を伴った胃発作が観察され、一例において横断性脊髄炎に似た下肢の麻痺症状及び精神聾(聾感)の発現を観察することができた旨報告しており、(ロ)E・バロスは同年前記ラ・セマーナ・メディカ誌に、「増えゆくアメーバ」と題する報告を発表し、その中で、グラヴィッツの前記報告に記載された神経症状を呈した患者を自ら直接に診断した結果を詳細に述べ、その一例(英国女性、年令三一、既婚)については、ヴィオフォルム〇・五グラムを一日三回服用したところ、三日後に胃痛、嘔吐及び頭痛を起し、そして少し後に死足感を生じ、一〇日後に服用を中止したところ、少し軽快し(異常知覚は残る)、七日後に服用を再開したところ、数日後嘔吐と腹痛が生じたので服用を中止すると軽快し、その後服用を再開したところ、腹痛と下肢の知覚及び運動障害の増悪が起り、更に足を引きずり、歩くには壁で体を支えなければならず、数回も転倒を繰り返すなど症状は益々悪化したが、処方された全量の服用を終えた後には、少しずつ両下肢の弛緩が消失し、著しい痙れん性の状態ながら歩行が可能になったとし、他の一例(男性、年令四五)については、右症例のように重篤ではなかったが、右と同様の要領で治療を受けたが、部分麻痺と糖尿を伴う異常感覚症状が発現したとしていることが認められる。

右のグラヴィッツ及びバロスの各報告は、いずれもキノホルムの服用によって発現したスモン様の神経性病変の具体的な症例報告であって、キノホルム剤の製造にあたる製薬業者にとって重要な報告であるところ、《証拠省略》によれば、スイス、チバ社は一九三五年(昭和一〇年)当時バロスからの報告によって右症例を知り得たことが認められ、又《証拠省略》によれば、グラヴィッツの前記報告の掲載されたラ・セマーナ・メディカ誌は、昭和一二年には、東北大学に蔵されていたことが認められるから、被告会社らは遅くとも昭和三一年一月当時には右文献の調査により右症例報告を知ることが可能であったということができる。

以上(二)及び(三)に挙示した種々の害作用情報に(一)において認定したキノホルムの劇薬性ないし人体への吸収性をも総合して考えるならば、遅くとも昭和三一年一月当時には、キノホルムの服用によって人体にスモンとの関連性を推論し得る重篤な神経障害を発現させるかも知れないとの予見は、文献の調査により十分に可能であったといわなければならない。

3 結果回避義務

前段認定のとおり、本件キノホルム剤の製造・販売の開始された昭和三一年一月当時には、キノホルムの服用による重篤な神経障害の発生の危険性を予見することが可能であったうえ、非アメーバ性下痢の治療にはキノホルムを使用すべきでない旨のいわゆるデーヴィット警告やグラヴィッツ及びバロスの前記症例報告が既に出されていたことを考慮するならば、被告会社らは、本件キノホルム剤については、その製造・輸入・販売を差し控えるか、或いは一部の適応症に医薬品としての有用性を認め製造・輸入・販売を行なうとしても、その販売を開始するに際し、少なくとも能書の記載や医師へのダイレクト・メールその他の手段によって、本件キノホルム剤の適応性をアメーバ赤痢に限定し、それ以外の疾病の治療のための内用に供してはならない旨、及び一日の投薬量、投薬期間の制限を明示し、この制限を越えて服用すると重篤な神経障害を生ずる危険があり、又若し右神経障害の徴表が発現したときは直ちに投薬を中止すべき旨の指示・警告をすることが要求され、かかる特段の措置を講じてはじめてその販売が許されるものであり、換言すれば、被告会社らは、前記の危険性を予見したうえ、本件キノホルム剤の製造等を差し控えるか、或いはその販売にあたり右の特段の措置を講ずることにより、本件スモンの発症という結果の発生を回避する義務があったといわなければならない。

4 義務懈怠

《証拠省略》を総合すれば、被告会社らはいずれも前記の危険性を予見せず、本件キノホルム剤の製造等を差し控えることなく、又その販売にあたり前記の特段の措置を講じなかったばかりか、本件キノホルム剤の能書に、被告チバは、メキサホルムにつき、「本剤は忍容性の高い薬剤で、小児に対しても使用できる」と、エンテロ・ヴィオフォルムにつき、「経済的、有効、安全な……御旅行・行楽の際の食あたり下痢の予防と治療に好適」、「旅行者の常備薬」、「種々の原因による下痢に」、「世界的に用いられている腸内殺菌剤」等と、強力メキサホルムにつき、「整腸剤」と銘打って、優れた忍容性をもっているとしたうえ、「副作用としては極めて稀に、食思不振、悪心、眩暈、頭痛、蕁麻疹が認められたのみである」とそれぞれ記載し、又被告田辺は、エマホルムにつき、「副作用は殆どみられないので、胃腸炎、夏季下痢、アメーバー赤痢、細菌性赤痢等の腸内諸感染性疾患に安全に投与でき卓効を収める」と記載して、いずれもその安全性を強調し、又多くの適応症を掲げる等して、販売を続けていたことが認められる。してみれば、被告会社らが前記の結果回避義務に違反したことは明らかである。

5 結論

以上の認定及び判断によれば、被告会社らは本件キノホルム剤の製造・輸入・販売につき過失があったといわざるを得ず、従って、右過失と相当因果関係を有する原告らの後記損害を賠償すべき責任がある。

なお、被告会社ら相互の責任関係についてみるに、本件キノホルム剤を製造・輸入した被告チバとこれを販売した被告武田の責任関係については、該キノホルム剤を服用してスモンに罹患し又はその増悪をみた原告らに対し、右両被告は実質的に同一視し得る程度に一体となって製造・販売者の地位にあったこと前記のとおりであるから、両被告は、共同不法行為者として連帯して損害賠償責任を負うものというべく、次に、被告チバ、同武田の製造・輸入・販売にかかる本件キノホルム剤と被告田辺の製造・販売にかかる本件キノホルム剤の双方を服用した結果スモンに罹患し又はその増悪をみた原告らに対しては、その最終的な損害は右の双方のキノホルム剤が相俟って招来したものということができるから、被告チバ・同武田と被告田辺とは、共同不法行為者として連帯して損害賠償責任を負うものと解すべきである。

第二被告国の責任

一  被告国の行為

被告国が厚生大臣をして医薬品の製造等の許可・承認をなさしめていること、厚生大臣が原告ら主張のとおり、被告会社らの製造等にかかる本件キノホルム剤につきそれぞれ製造等の許可・承認を与えたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  無過失責任の主張について

原告らは、本件は代表的な薬害の一つとして、いわゆる「構造的被害」の諸特徴をもつものであること等から、被告国は過失の立証なしに本件スモンによる損害賠償義務を負う旨主張するが、現行法上、民法七〇九条はもとより国家賠償法一条も明確に過失責任主義を採っており、本件の場合、実定法規に反してまで無過失責任主義を採るべき合理的根拠は全く見出せないから、原告らの右主張は到底採用し得ない。

三  被告国(厚生大臣)の医薬品の製造承認等における安全性確保義務

1 序

本件キノホルム剤の製造の許可は、昭和二三年七月二九日法律第一九七号として公布、同日から施行された薬事法(以下「旧薬事法」という。)二六条三項に基づき、又その製造の承認は、昭和三五年八月一〇日法律第一四五号として公布、昭和三六年二月一日から施行された現行薬事法(以下「薬事法」という。)一四条一項(輸入については更に同法二三条)に基づいてなされたものであるので、以下に薬事法(旧薬事法)上、右許可・承認に当り、被告国(厚生大臣)にいかなる注意義務があったかを検討することとする。

2 厚生大臣の医薬品に対する安全性確保義務と薬事法上の根拠

(一) 旧薬事法は、新憲法施行後の昭和二三年七月に、昭和一八年制定の旧々薬事法、医薬部外品等取締法等を統合し、薬事制度の民主的運営と公衆保健保護の見地からする取締規定の整備等を図るため制定公布されたものであるが、旧薬事法においては、公定書(日本薬局方、国民医薬品集)及びその追補を発行、公布することが厚生大臣の義務であることが明定され(三〇条一項)、又医薬品の製造については、医薬品の製造業者は製造所毎に厚生大臣の登録を受けるものとされ(二六条一項)、公定書に収載されていない医薬品(以下「公定書外医薬品」という。)の製造をする場合には、品目毎に薬事委員会(昭和二四年に同委員会の名称は薬事審議会に改められ、次いで昭和二六年に薬事審議会は諮問機関としての性格を有するに至った。)の建議に基づく厚生大臣の許可を要するものとされていた(同条三項、四項、三一条)(なお、公定書収載医薬品の製造については右許可は不要とされていた。)。更に、旧薬事法施行規則二二条は、公定書外医薬品の製造許可の申請に当っては、申請書に、「製造品目の成分及び分量並びに製造法、成分不明のときは、その本質及び製造法、用法、用量及び効能」等を記載することを要する旨規定していた。なお、輸入の場合もこれに準ずる(旧薬事法二八条)。

昭和三五年八月に公布された現薬事法によれば、日本薬局方収載の医薬品を製造する場合には、単に医薬品製造業の許可(一二条二項)を受ければ足りるが、日本薬局方に収載されていない医薬品(以下「局方外医薬品」という。)の製造の場合には、右の製造業の許可と共に当該医薬品に対する厚生大臣の品目毎の製造承認が必要とされ、この製造の承認は、申請にかかる医薬品の名称・成分・分量・用法・用量・効能、効果等を審査して行うものとされ(一四条)、更に同法によれば、輸入の場合も局方収載医薬品と局方外医薬品に区別されて製造に関する右規定が準用されることになっている(二三条)。なお、旧薬事法の規定により既に医薬品の製造又は輸入の許可を受けている者は、当該品目につき薬事法一四条の規定による承認を受けたものとみなされることとなった(附則五条)。

(二) 以上のとおり、公定書外医薬品又は局方外医薬品(以下両者を総称して単に「局方外医薬品」という。)の製造等については、厚生大臣の許可・承認を要するものとされているが、法が右許可・承認の制度を設けた趣旨は、これにより医薬品の安全性を確保し、もって医薬品の適正を図るとの旧、現薬事法(一条)の目的を実現することにあったと解される。即ち、医薬品(特に合成化学医薬品)はその性質上有効な作用と同時に害作用をも有し、しかもその害作用によって国民の生命、健康に重大な被害を与える虞れがあるが、これを服用する者の側においてその安全性を吟味することは殆ど不可能であり、又医薬品を供給する立場にある製造、輸入、販売業者は利潤追求をも目的とする者であるから、これらの者に医薬品の安全性について最終判断をさせることは危険である。そこで、国が厳正にその最終判断をして医薬品の安全性を確保し、もって医薬品の適正を図るとの薬事法の目的を実現するために、右許可・承認の制度を設けたと解されるのである(公定書の公布等についてもほぼ同様のことがいえる。)。そして、前記のように、薬事法が右許可・承認の可否を決するに当り、医薬品の成分・分量のみならず用法・用量・効能・効果等まで審査すべきものとしているのも(一四条、旧薬事法二六条三項、旧薬事法施行規則二二条)、医薬品については害作用等の効果等をも審査しなければ医薬品としての効能を適正に審査したことにならないからであり、又右審査上必要と認めるときは、医薬品の見本品を提出させることができるものとし(旧薬事法施行規則二五条)、或いは右見本品のほか医薬品の基礎実験資料、臨床成績その他の参考資料をも提出させることができるものとし(薬事法施行規則二〇条)、更に右許可・承認が薬事委員会等の建議等に基づくものとされている(旧薬事法二六条四項、薬事法三条)のは、いずれもそれによって医薬品の安全性を確保しようとするものなのである。

更に、医薬品の安全性確保措置、特に製造等の許可・承認の審査についての旧薬事法当時からの我が国の薬事行政の実態についてみるに、《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。即ち、旧薬事法当時、昭和二四年八月四日付薬務局長通知(薬発第一三七二号)により、公定書外医薬品の許可に当って薬事審議会で審査する場合には、その品目の内容につき調査研究するため、「製品の見本、製品に関する文献の写、製品に関する実験例(少なくとも二か所以上の実験報告)」の資料を提出すべきものとされ、更に、昭和二五年九月二六日付薬務局長通知(薬発第六〇〇号)により、公定書外医薬品の輸入販売許可申請について、「新医薬品については特にその内容が判明し得る様、文献、臨床実験成績又は該品目について詳細に説明する文書を添付せしめること」とされ、そして、現薬事法の公布に先立つ昭和三五年五月一二日薬事審議会の新医薬品特別部会においては、新医薬品製造許可申請書添付資料の基準が定められ、この基準がその後現薬事法施行後も製造承認審査の内規として用いられるようになり、承認申請の手引書として初めて公刊された厚生省薬務局監修「医薬品製造指針(一九六二年版)」に登載されたが、それによれば、右添付資料の内容は、(1)基源又は発見の経緯に関する資料、(2)構造決定など物理的化学的基礎実験資料、(3)効力及び毒性に関する基礎実験資料、(4)臨床実験に関する資料となっており、なお、毒性に関する基礎実験資料については、「品目によっては急性毒性資料のみでもよいが、長期間連用されるものは必ず慢性毒性資料も考慮すべきである」旨の説明が付記されるに至っていた。

昭和三八年に至り、サリドマイド事件の発生を一つの端緒として、まず中央薬事審議会に医薬品の安全性に関する特別部会(医薬品安全対策特別部会)が設けられ、その答申に基づき昭和三八年四月三日付薬務局長通知(薬発第一六七号)が出され、従来の基礎実験資料に加えて、胎児に及ぼす影響に関する動物試験資料の提出が求められるようになり、更にその後も、薬務局長通知により提出資料の内容の充実が図られた後、昭和四二年九月一三日付薬務局長通知(薬発第六四五号)「医薬品の製造承認等に関する基本方針について」及び同年一〇月二一日付薬務局長通知(薬発第七四七号)「医薬品の製造承認等に関する基本方針の取扱いについて」の両通知が発せられ、医薬品の承認審査に必要な資料要求の範囲と承認審査の方針を明確にしたことをはじめとして、薬務行政上の広範囲に及ぶ行政方針が定められるに至った。

以上の事実に徴すれば、医薬品の安全性確保のための薬事行政上の諸措置は、法令の改正を経ることなく、薬務局長通知等により昭和二四年当時から次第に拡充整備が図られてきたが、昭和三八年にサリドマイド事件の発生を契機として医薬品の安全性確保が緊急且つ重要な課題となり、製造等の承認のための資料提出についてもその内容の一層の充実が図られ、更に昭和四二年に至って前記の「基本方針」が策定されたのであって、その間医薬品の製造等の許可・承認に関する具体的な行政措置にはかなりの変遷のあったことが窺われる。

そして、その間に旧薬事法に代って現薬事法が制定され、又未曾有の薬害事件ともいうべきサリドマイド事件の発生があって、これが薬事行政に大きな変化をもたらしたことは事実であるが、医薬品の安全性確保という課題がサリドマイド事件の発生によってはじめて厚生当局によって認識されるようになったものでないことは、厚生当局が同事件発生前に定めた前掲「医薬品製造指針(一九六二年版)」に登載の製造承認申請の添付資料基準の内容(同基準によれば、添付資料の一つに「効力及び毒性に関する基礎実験資料」が含まれていることは前認定のとおりである。)に照らしても明らかである。即ち、右の毒性に関する試験資料の要求は、医薬品の副作用に対する深い配慮を示すものに外ならず、このことは、厚生当局がサリドマイド事件の発生前に既に医薬品の安全性確保の問題を認識し、且つこれを配慮しながら、医薬品に対する各種の行政措置をとっていたことを示すものといわなければならない。

前認定の医薬品の製造等の許可・承認の審査の際の安全性確保に関する各行政措置の内容及びこれがとられるに至った経過等に照らせば、これを単なる国のサービス或いは行政指導と解するのは当を得たものとはいえず、むしろ前記各行政措置は、薬事法或いは旧薬事法によって医薬品の安全性確保義務が課されていることを当然の前提として、これを基に、現実の行政上の要求が高まるにつれて次第に具体化し顕在化してきたものとみるのが妥当であろう。

してみれば、薬事行政の実態からしても、厚生大臣は医薬品の製造承認等において、薬事法(旧薬事法)上安全性確保義務を負うものと解することができるのである。

(三) もっとも、薬事法(旧薬事法)には医薬品の製造等の許可・承認に関して、その審査基準、審査手続及び審査機関並びに許可・承認後における追跡調査制度及び許可・承認の撤回等医薬品の安全性確保のための具体的規定が設けられていないが、このことは、同法が医薬品の安全性確保の見地からすると不十分な規定しか置かなかったことを意味するに過ぎず、規定が不備であったことを理由に安全性確保の必要性を否定することは本末転倒の謗りを免かれないであろうし、又同法が審査基準や審査方法等に関する具体的規定を設けなかったのは、医薬品の安全性確保の基準や方法は科学の発達や社会の進展に伴い進歩するものであるから、その方式にとらわれることなく、その時々に応じて弾力的に運用することを可能ならしめるためであったと解することもできるのであり、従って、薬事法(旧薬事法)に医薬品の安全性確保のための具体的且つ積極的規定が明示的に設けられていないからといって、許可・承認に際してその安全性を実質的に審査することが要求されていないと解することはできないのである。

又被告国は、右許可・承認制度の目的は不良医薬品の取締りにあると主張するが、不良医薬品の取締りのみでは医薬品の適正を図るとの法の目的が達成し難いことはいうまでもなく、又不良医薬品を取り締る目的はそれによる国民の生命、健康に対する被害を防止するところにあるが、これに優るとも劣らない被害を国民にもたらす虞れのある医薬品の害作用の有無について、国(厚生大臣)が審査することを法が予定していないとは到底解し得ないところであり、従って、右主張は採用できない。

(四) 以上の説示によって明らかなように、薬事法(旧薬事法)は医薬品の製造等の許可・承認に際し、国(厚生大臣)に医薬品の安全性確保を義務づけているものと解すべきである。即ち、厚生大臣は、局方外医薬品について製造等の許可・承認の申請があったときは勿論、当該医薬品そのものは局方外医薬品であるがそのうちの或る成分が局方に収載されているもの(いわゆる新製剤)について許可・承認の申請があったときは、その申請にかかる医薬品につき全体としての安全性及び有効性を審査する義務があるというべきである。けだし、局方収載品につき製造等の許可・承認が不要とされている趣旨は、単に製薬業者の側からは製造許可等を経ることなくその製造等ができるとしたものに過ぎず、局方収載品については、一旦収載した後は国側においてその安全性及び有効性を審査する必要がないとしたものとは解し得ないからである。又厚生大臣は局方収載時に当該医薬品の安全性と有効性を審査する義務があると解すべきであるが、局方収載によって当該医薬品の性質が科学的に安全なものに確定するわけではないことはいうまでもないし、医薬品の安全性は科学の進歩や情報の集積によって漸次深められていくものであるのみならず、局方収載によって当該医薬品が安全且つ有効であるとの信頼性が高まるのであるから、局方に収載を認めて公示した以上、厚生大臣は収載が継続される限り、収載品についての安全性確保の義務を潜在的に負っているというべきである。従って、厚生大臣は、局方収載後においても、特定の医薬品について副作用情報がある等して安全性に疑問を生じた場合には随時これを再審査すべきはもとより、局方外医薬品について製造等の申請があった場合には、これを機会に、当該医薬品の成分中の局方収載品についても、局方収載後に得られた新資料を加味して改めて審査し、その安全性の確認をすべきものといわなければならないのである。

3 安全性確保義務の具体的内容

現薬事法下においてはもとより、旧薬事法の下においても、被告国(厚生大臣)に医薬品の安全性確保義務のあることは前段説示のとおりであるが、医薬品はその性質上人の生命、健康という人間存在の根本をなす利益に密接にかかわるものであるのみならず、服用者の側においてはその安全性を吟味する手段を持ち合わせていないのが通例であるから、医薬品の安全性確保義務を負う者の果すべき注意義務は最高度のものが要求されるのは当然のことである。しかも、我が国の法制上、薬事行政を担当する厚生省が設置され、厚生大臣がその職務として医薬品の安全性確保を果すべきものとされ、更に同大臣の諮問機関として中央薬事審議会(旧薬事法においては薬事委員会、薬事審議会)の設置が定められている(薬事法三条、旧薬事法七条)ことなどを考慮すると、厚生大臣の医薬品の安全性確保についての注意義務は、その時代における内外の医学・薬学の最高の学問的水準により得られた科学的知見を基準に考えるべきであると解される。

そして、その安全性確保の方法は、これを局方外医薬品についての製造等の許可・承認の場合についてみれば、厚生大臣は、申請にかかる医薬品につきその成分・分量・用法・用量・効能・効果等を審査して(薬事法一四条)、それが無害且つ有効な医薬品であるか否かを判断すべきものとされ、又同法及び同法施行規則によれば、厚生大臣は、必要に応じて、前記諮問機関に諮問して答申を求め、或いは申請者に製品に関する文献の写、実験資料その他の参考資料の提出を求め得るものとされているが、その審査の基準、方法については別段の規定はないのであるから、当該事案について適切と考えられるあらゆる方法をとることができ、又考えられるあらゆる方法をとることによって、審査に万全を期する義務があるといわなければならない。即ち、厚生大臣は、申請者の提出した資料を十分に調査検討すべきことはいうまでもなく、更に必要に応じて申請者に資料の追加提出を命じ、或いは自ら内外の文献を調査し他の適当な機関に各種の試験を行なわせる等して、当該医薬品及びその類似構造化合物についての副作用情報をでき得る限り収集すべきであり、当該医薬品の安全性に疑点が生じた場合には、新たにこれを積極的に否定し切れる確実な資料が得られてその疑点が十分に解明されない限り、その製造等の許可・承認をしてはならないのである。

四  被告国の責任の構造

1 過失の内容

前述の医薬品についての安全性確保義務の違反は、これを過失責任の構造という観点からみれば、医薬品の危険に対する予見義務違反と結果回避義務違反として把えることができ、右両義務の違反が即ち過失であり、過失ありとするためには、その前提として、予見可能性と結果回避可能性が認められなければならないことはいうまでもない。

2 国家賠償責任の構造

ところで、本件は、国の公務員である厚生大臣が製薬会社に対し医薬品の製造等の許可・承認の職務行為をするに当り、前述の安全性確保に関する過失があったため、第三者である原告らが損害を蒙ったとして、右職務行為についての過失に基因する損害の賠償を国家賠償法一条一項に基づいて訴求するものである。

国家賠償法一条一項によれば、国の公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、右違法な行為と相当因果関係にある損害はすべて国がこれを賠償すべきものとされている。しかし、右職務行為の違法とは、これによって損害を蒙った者に対する関係で、国家賠償法上違法なものと評価されるような場合でなければならず、本件の場合のように、公務員の違法な職務行為の結果、その直接の相手方(被告会社)でない第三者(医薬品を服用した原告ら)に損害を生ぜしめた場合には、右職務行為の違法がその第三者に対する関係でも社会観念上義務違反として評価されるときにはじめて国家賠償責任を肯定すべきものと解するのが相当である。

3 被告国主張の反射的利益論について

被告国は、薬事法の立法趣旨と目的は適正な医薬品の供給を通じて公衆衛生の向上と増進を図ることにあり、同法に基づく規制により特定の個人が副作用のない医薬品の供給を受けるという利益を享受するとしても、それは単なる反射的利益に過ぎず、従って、個々の特定人たる原告らは国に対して損害賠償を請求し得べき法的根拠を有しない旨主張する。

しかしながら、元来いわゆる反射的利益論なるものは、取消訴訟その他の抗告訴訟においていかなる範囲の者にまで訴えの利益を認めるべきかという、原告適格を画する基準設定の必要性を背景として主として論じられてきたものであるのに対し、本件の如き公務員の不法行為を理由とする国家賠償請求事件においては、公務員の職務行為が違法と評価されるものであり、当該違法行為と原告の主張する損害の発生との間に相当因果関係が認められればそれで足りるのであって、処分の相手方でない者に抗告訴訟の原告適格が認められるか否かの問題と、許可・承認申請手続上の第三者たる個々の特定人に損害が生じた場合の不法行為の成否とは、論理上直接の関連を有するものではない。

結局、本件においては、前述のような国家賠償法一条一項所定の要件が充足されているか否かがまさに争点であって、被告国が主張する利益が反射的利益であるか否かは、必ずしも論ずる必要はないというべきである。

4 被告国主張の自由裁量論について

被告国は、厚生大臣の行う医薬品の許可・承認は、医薬品の有する有効性と安全性とを比較考量しその時々の社会的必要性をも斟酌したうえで、専門的技術的見地から判断する自由裁量行為と解すべきであるから、その裁量に逸脱又は濫用のない限り、厚生大臣の行った許可・承認を違法と評価することはできない旨主張する。

思うに、厚生大臣は、医薬品の製造等の許可・承認に際しては、当該医薬品の成分・分量・用法・用量・効能・効果等を審査して、その有効性と安全性との比較考量を行ったうえその有用性を判定することとなるが、医薬品の有用性の判定は、適応症の種類・治療効果の程度・代用薬の有無・医薬品としての必要性・その副作用の態様及び程度等を総合してなされるべきものであり、高度な専門的・技術的判断を伴なうものであるという意味において、厚生大臣の行う医薬品の製造等の許可・承認等の処分は裁量的ということができる。

しかしながら、医薬品の製造等の許可・承認申請に対してなす厚生大臣の処分は、単に右許否のいずれかのみではなく、処分のある期間の留保のほか、医薬品の安全性確保の必要上相当な条件を付して許可・承認をなし得るのであり(薬事法七九条参照)、その場合の条件としては、適応症・用法・用量を限定するのはもとよりのこと、使用を相当期間特定の医療機関に限定し、施行上副作用の発生には特に留意させること等も可能なものと解されるのであって、このような関係も含めて解すると、特に医薬品の安全性の面に関する限り裁量の余地は少なく、むしろ厳格な配慮が義務づけられているものというべきである。

従って、厚生大臣は、製造等の許可・承認申請にかかる医薬品の安全性が疑わしく、重篤な副作用のある欠陥医薬品ではないかと思われるような疑いがあり、しかもその疑いには一応の合理性が存するような場合には、特に有効性との対比で、その適応症・用法・用量等を限定し、可及的安全措置を講ずる等して有用性が肯定されるような場合でない限り、右安全性に関する疑念が十分に解明されるに至るまで、右医薬品の許可・承認を与えてはならないのであって、それにも拘わらず、前述の如き医薬品の安全性を確保するための方策を何らとらずに、右医薬品の製造等の許可・承認を与えた場合には、裁量権を逸脱又は濫用したものとして、右許可・承認行為は違法と評価せざるを得ないのである。

五  被告国の過失の有無

1 予見可能性の有無

原告ら(原告加藤きみを除く。)のスモン罹患の原因となった本件キノホルム剤につき最初に製造許可のなされた昭和三一年一月当時には、キノホルムの服用によって人体にスモンとの関連性を推論し得る重篤な神経障害を発現させるかも知れないとの予見が文献の調査により十分に可能であったことは、本章第一の四の2において説示したとおりである(なお、原告加藤きみについては、いかなるキノホルム剤によってスモンに罹患したものか明らかでないが、後述(第三章第二の46)のスモンの罹患の時期からみて、昭和三一年一月以降に服用したキノホルム剤によってスモンに罹患したものと推認される。)。従って、厚生大臣において昭和三一年一月当時、キノホルム及びその類似構造化合物についての前記文献・報告等を調査検討し、又必要に応じて申請製薬業者に相当の動物実験を実施させる等していれば、本件キノホルム剤の服用によって人体に重篤な神経障害を発現させる危険のあることにつき、後記安全性確保措置をとることを可能ならしめる程度に、これを予見することが可能であったということができる。

2 結果回避義務(厚生大臣のとるべき安全性確保措置)

本件キノホルム剤は、その主要有効成分であるキノホルム自身の性状来歴に照らすと、前記のとおり、その服用によって重篤な神経障害を発現させる危険が予見できるのであるから、医薬品としての使用を認めるに当っては、厚生大臣において、製造等の許可・承認の審査を担当する係員らをして、申請者の提出にかかる資料その他所要の文献の十分な調査検討をなさしめることはもとより、申請者に対し、関連文献、特にキノホルムの毒性等に関する動物実験報告、臨床試験報告の提出の徹底を図り、更に必要に応じて他の適当な大学・研究所等に各種の試験の実施を依頼する等して、副作用情報の収集に努めるべきであり、そして、本件キノホルム剤の安全性の疑点が十分に解明されない限り、その製造等の許可・承認をすべきではないのである。

又本件キノホルム剤につき前記のような危険性が予見される以上、厚生大臣は、仮に医薬品としての有用性を認めてその製造等の許可・承認をするとしても、その適応症を適切な範囲に限定し(腸アメーバ症等に限定し、原因未確定の下痢・腹痛や予防用等に拡大しないようにする。)、用法・用量の指定、特に限界的使用量の指定を厳格にし、更に副作用の警告と共に使用時の症状による投薬中止等適切な対応措置の指示をなすべきこと(例えば、本件キノホルム剤の使用を特定医療機関に限定し、能書その他当該医薬品の添付文書に右使用上の注意及び主要な副作用報告を明記させることとする。)等の条件を付して、その許可・承認をすべきであったと解される。

《証拠省略》によれば、昭和三一年一月当時の第六改正日本薬局方中キノホルムの欄には、常用量として一回〇・二グラム一日〇・六グラムとの記載があるのみで、他には用量に関する使用上の注意事項は一切記載されていないことが認められるが、昭和三一年一月当時におけるキノホルム剤の製造許可に当り、前記のとおりキノホルム剤の安全性確保措置が要求されるものとみられる以上、厚生大臣として、当時の右局方の記載自体についても、適応症の限定、用法・用量の限定(劇薬に指定された場合の極量に準じて)、副作用の警告等使用上の注意事項を掲記して右局方記載内容の是正を図るべきであり、そのままとすることは、爾後の許可・承認審査に与える影響の多大であることから許されないものといわなければならない。

厚生大臣は、昭和三一年一月当時において本件キノホルム剤の製造許可につき前記の措置をとるべきものとすると、それ以前にすでに存在した他のキノホルム剤の販売使用につき、又右時期以降のキノホルム剤製造等の許可・承認についても、特に新たな有用性の確証がない限り前同様の措置をとるべきであったということができる。

ところで、キノホルム剤につき昭和三一年一月以降に特に新たな有用性の確証の出たことを認めるに足る証拠はないのみならず、《証拠省略》によれば、右時期以降もキノホルムの神経毒性等に関する副作用報告が次々にあらわれたことが認められるから、キノホルム剤の販売停止に至るまでその有用性を肯定する余地はなかったといわなければならない。

3 義務懈怠

《証拠省略》を総合すれば、厚生大臣は、本件キノホルム剤の製造等の許可・承認に際し、キノホルム剤の前記のような危険性を予見せず、被告会社らから広範多量な適応症及び用量を示してなされた各申請につき、いずれもその適応症及び用量を限定せず、又副作用の警告、使用時の症状による投薬中止等適切な対応措置の指示をなすことの条件を付することなく、その製造等の許可・承認をし、更にその後も従前のキノホルム剤の販売使用及び当時の局方の記載内容についても何らの是正措置も講じなかったことが認められる。

してみれば、厚生大臣は、裁量権を逸脱して、本件キノホルム剤の製造等の許可・承認に当って要求される前記安全性確保措置(義務)を懈怠したものといわなければならない。

4 結論

前段説示の厚生大臣の安全性確保義務の懈怠は、取りも直さず本件キノホルム剤の服用によって生ずる前記の危険に対する予見義務及び結果回避義務の違反であり、同大臣の違法な職務行為というべきである。そして、右の違法な職務行為と原告らの後記スモン被害との間には相当因果関係を肯認することができる。けだし、若し厚生大臣において本件キノホルム剤の製造等の許可・承認をせず、仮にそれをするとしても、その適応症及び用量の限定、副作用の警告その他適切な対応措置の指示をなさしめる等厳重な条件を付する等して前記の安全性確保措置を尽したならば、原告らが本件キノホルム剤を服用することもなく、又スモンに罹患することもなかったと認められるからである。

ところで、前述のとおり、公務員の違法な職務行為により第三者に損害を生ぜしめた場合には、右職務行為の違法がその第三者に対する関係でも社会観念上義務違反として評価されるときにはじめて国家賠償責任を肯定すべきものと解するのが相当であるところ、本件各被害はいずれも人の生命・身体にかかわる重大なものであること、本件において、キノホルム剤を服用した原告患者らは一般に当該医薬品の安全性を確認する手段も能力も有しないから、厚生大臣の右製造承認等における安全性確保義務の履行が特に期待されたところであること、厚生大臣において、医薬品の安全性に対する慎重な配慮があれば、本件結果の発生を予見することは比較的容易であったともみられること、厚生大臣のとるべき規制措置は、右被害発生防止に最も必要且つ的確な手段であり、他に適切な措置は期待できないうえ、一旦右措置を怠ると後の是正は極めて困難で、且つ影響は甚大であり、もとより右規制措置をとること自体は格別困難ではないこと等に鑑みれば、厚生大臣の本件キノホルム剤の製造承認等における安全性確保義務違反は、本件キノホルム剤の服用によって被害を蒙った第三者に対しても、同義務違反として違法評価を受け得るものというべく、結局被告国は、厚生大臣の過失による違法な職務行為として、キノホルム剤の服用によって被害を蒙った原告患者ら第三者に対しても、右行為と相当因果関係のある範囲内で損害賠償責任を負担するものというべきである。

六  被告会社らの行為と被告国の責任との関係

厚生大臣の医薬品の製造等の許可・承認、公定書公布などの権限は、医薬品を利用する国民のために、被告会社らの医薬品の製造販売行為に対する行政監督上の規制として認められたものであり、国が医薬品に起因する被害につき損害賠償責任を負うのは、右規制権限の行使につき課せられた安全性確保義務の違反によるものであって、直接の加害行為者である被告会社らの製造販売行為に共同加功したことによるものではない。

従って、国と被告会社らとは、医薬品による被害につき共同不法行為者の関係に立つものではなく、ただ賠償責任の対象となる損害が偶々同一であることから、両者の損害賠償債務が不真正連帯の関係に立つものと解されるに過ぎない。

第三章損害

第一損害額の算定基準

原告らがスモンに罹患したことによって蒙った損害については、経済的・精神的全損害を包括して慰藉料(後記弁護士費用を除く)という形で算定することとし、症度区分に応じて基準金額を定め、これに年令その他の修正要素による加算を行うことによって算定する。

1  基準金額

(一) まず、鑑定による症度区分に応じて、原告らのスモンによる症状をⅠ度Ⅱ度Ⅲ度に区分し、症度Ⅰ度はスモンによる症状のために現在の日常生活に軽度の障害がある者、症度Ⅲ度はスモンによる症状のために現在の日常生活に高度の障害があり介護を要する者、症度Ⅱ度はスモンによる症状がⅠ度とⅢ度の中間程度の者、以上のようにまず三段階に区分する。

(二) 次に、症度Ⅱ度の者のうちで、(1)スモンによる症状が比較的軽症で症度Ⅰ度に近い者、具体的には、運動障害・視力障害ともに比較的軽度で労働能力や家事労働能力喪失の程度が比較的軽度な者については、症度Ⅱ度の軽症スモン患者とし、(2)スモンによる症状が比較的重症で症度Ⅲ度に近い者、具体的には、運動障害又は視力障害が比較的高度で労働能力や家事労働能力喪失の程度が比較的高度な者については、症度Ⅱ度の重症スモン患者として、症度Ⅱ度をさらに三段階に区分する。

(三) さらに、症度Ⅲ度の者のうちで、(1)スモンのために、失明した者又はこれに準ずる者、歩行不能となった者、視力が低下し歩行も困難となってその症状の程度が又はと同視される者については、症度Ⅲ度の重症スモン患者とし、(2)スモンのために失明しかつ歩行不能となった者については、症度Ⅲ度の超重症スモン患者として、症度Ⅲ度をさらに三段階に区分する。

(四) 基準金額は次のとおりとする。

・症度Ⅰ度のスモン患者 一〇〇〇万円

・症度Ⅱ度の軽症スモン患者 一四〇〇万円

・症度Ⅱ度のスモン患者 一六〇〇万円

・症度Ⅱ度の重症スモン患者 一八〇〇万円

・症度Ⅲ度のスモン患者 二四〇〇万円

・症度Ⅲ度の重症スモン患者 二九〇〇万円

・症度Ⅲ度の超重症スモン患者 三四〇〇万円

(五) なお、以下認定する各原告の症度は、鑑定による症度を考慮に入れつつも、あくまでも全証拠資料に基づき当裁判所独自の立場から判断するものであるから、一部の原告について鑑定の症度と一致しないのは当然であろう。

2  修正要素による加算

(一) 発病時に次の各年令の者は、それぞれの基準金額に次のとおり加算する。なお、以下発病時とは、スモンによる神経症状発現時をいうものとする。

(1) 三〇才未満の者は二〇パーセント加算

(2) 三〇才以上四〇才未満の者は一五パーセント加算

(3) 四〇才以上五〇才未満の者は一〇パーセント加算

(4) 五〇才以上六〇才未満の者は五パーセント加算

(二) 発病時に一家の支柱であった者については、それぞれの基準金額に一〇パーセント加算する。なお、一家の支柱であった者とは、同居の家族を主として自己の収入によって扶養していた者をいうものとする。

(三) 発病時に乳幼児ないし高等学校就学中の子女がいた主婦については、それぞれの基準金額に一〇パーセント加算する。但し、一家の支柱に該当した者は除外する。

第二原告らの慰藉料額《省略》

第三総括

1  弁護士費用

本件訴訟の性質、訴訟遂行の難易度、請求認容額等に照らせば、各原告らにつき認容した慰藉料額のほぼ七・五パーセントに当る金額を、弁護士費用として被告らに負担させるのが相当である。

2  遅延損害金の起算日

(一) 原告らは、中央薬事審議会がキノホルム剤の販売中止の答申をした、昭和四五年九月七日より民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めているところ、不法行為による損害賠償債務は、何らの催告を要することなく損害発生と同時に遅滞に陥るものであり(最高判昭和三七年九月四日民集一六巻九号一八三四頁参照)、原告らの損害発生の日はスモンによる神経症状発現の日と解するのが相当であって、原告らは前記昭和四五年九月七日以前にスモンによる神経症状が発現した者ばかりであるから、結局、先に認容した原告らの被告らに対する慰藉料については、すべて昭和四五年九月七日以前より遅延損害金債権が発生しているものというべきである。

(二) ところで、原告らは、訴状では訴状送達の翌日よりの遅延損害金の支払を求めていたところ、昭和五三年七月六日訴え変更の申立書を当裁判所へ提出し、昭和四五年九月七日よりの遅延損害金の支払を求めるに至ったのであるが、被告チバ及び同武田は、昭和四八年(ワ)第一六五号事件及び同第三〇三号事件原告らについて、昭和四五年九月七日より訴状送達日までの遅延損害金の支払を求める部分については三年の短期消滅時効が完成しているとして、時効を援用している。よって考察するに、右両事件原告らは、遅くとも右両事件の訴えを提起した昭和四八年五月七日及び同年九月四日の時点で、被告チバ及び同武田の製造・販売に係るキノホルム剤を服用してスモンに罹患したことを知ったのであるから、昭和四五年九月七日から訴状送達日までの遅延損害金については、遅くとも右訴えを提起した日より三年を経過した昭和五一年五月八日及び同年九月五日の時点で、三年の短期消滅時効が完成したものといわざるを得ない。されば、昭和四八年(ワ)第一六五号事件原告らは、被告チバに対しては昭和四八年七月一一日(訴状送達の翌日)より、被告武田に対しては同年七月一二日(訴状送達の翌日)より、昭和四八年(ワ)第三〇三号事件原告らは、被告チバに対しては昭和四八年九月一二日(訴状送達の翌日)より、被告武田に対しては同年九月一三日(訴状送達の翌日)より、いずれも年五分の割合による遅延損害金を請求しうるに過ぎないものというべきである。

(三) 更に、被告チバは、昭和五一年(ワ)第一四七号事件原告稲葉勝恵についても、昭和四五年九月七日より訴状送達日までの遅延損害金の支払を求める部分については、三年の短期消滅時効が完成しているとして、時効を援用している。よって考察するに、原告稲葉勝恵の本人尋問の結果によれば、同原告は、昭和四九年秋頃国立伊東温泉病院のカルテをみて、被告チバの製造に係るメキサホルムを服用してスモンに罹患したことを知ったことが認められるので(同原告の本人調書二四丁参照)、昭和四五年九月七日から訴状送達日までの遅延損害金については、メキサホルムを服用してスモンに罹患したことを知った昭和四九年秋頃より三年を経過した昭和五二年秋頃の時点で、三年の短期消滅時効が完成したものといわざるを得ない。されば、右事件原告稲葉勝恵についても、被告チバに対しては、昭和五一年七月九日(訴状送達の翌日)より年五分の遅延損害金を請求し得るに過ぎないものというべきである。

(四) 次に、弁護士費用の遅延損害金の起算日について考察するに、原告らは訴状で、本件訴訟において勝訴判決が得られたときは、原告代理人に認容額の一割を支払う旨約したと主張しており、勝訴判決言渡しによって初めて右弁護士費用の支払義務が発生することになるのであるから、判決言渡日の翌日から年五分の割合による遅延損害金を請求し得るに過ぎないものというべきである。

3  仮執行宣言

(一) 被告チバ・同武田・同田辺に対する仮執行宣言

同被告らに対する仮執行宣言の申立については、原告らの認容額に対する次の各割合の限度において相当と認め、仮執行免脱宣言の申立については、仮執行宣言を右のように限定する以上相当でないと認めるので、これを付さないこととする。

(1) 被告会社らの製造・販売に係るキノホルム剤を服用したことによって、スモンに罹患したか或いはスモンの症状が持続ないし悪化したことが優に認められる原告については、三分の一

(2) 被告会社らの製造・販売に係るキノホルム剤を服用したことによって、スモンに罹患したこと或いはスモンの症状が持続ないし悪化したことについて、疑問がない訳ではないがこれを肯認しうる原告については、四分の一又は五分の一

(3) 被告会社らの製造・販売に係るキノホルム剤を服用したことによって、スモンに罹患したか否か或いはスモンの症状が持続ないし悪化したか否か問題があるが、スモンに罹患したか或いはスモンの症状が持続ないし悪化したものと推認するのが相当な原告については、一〇分の一

(二) 被告国に対する仮執行宣言

原告らに対する責任については、本件キノホルム剤を製造・販売した被告会社らが第一次的責任者であり、本件キノホルム剤の製造等を許可・承認した被告国は第二次的責任者に過ぎないこと、被告会社らに対して仮執行宣言を付せば、被告国に対して仮執行宣言を付さなくとも、原告らの当面の救済には事欠かないこと、以上の諸点より被告国に対しては仮執行宣言を付さないこととする。

原告加藤きみについては、被告チバ及び同武田に対する請求を棄却し被告国に対する請求のみを認容したので、同原告の被告国に対する請求については、認容額の五分の一の限度で仮執行宣言を付し、なお、仮執行免脱宣言の申立については、仮執行宣言を右のように限定する以上相当でないと認めるので、これを付さないこととする。

第四結論

以上の認定及び判断によれば、原告らの被告らに対する本訴請求中、

1  原告日高和子・同佐塚ひさ・同加藤きみの被告チバ及び同武田に対する各請求は、いずれも理由がないので棄却することとし、

2  原告らの被告らに対するその余の請求は、別紙認容金額一覧表の慰藉料欄及び弁護士費用欄記載の各金員、並びに、右慰藉料欄記載の各金員に対する同表の遅延損害金の起算日欄記載の各年月日より各完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金、及び右弁護士費用欄記載の各金員に対する昭和五四年七月二〇日(判決言渡の翌日)より完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金、以上の各金員の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないので棄却することとして、

訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条・九二条但書・九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松岡登 裁判官 紙浦健二 裁判官 松丸伸一郎)

〈以下省略〉

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